思考実験:イデア界の座標・幾何学、あるいは、虚軸と実軸の問題:イ

思考実験:イデア界の座標・幾何学、あるいは、虚軸と実軸の問題:イデア界・ガウス平面の太極力学論


テーマ:プラトンシナジーイデア共振体理論


虚軸Y軸を、時間軸・シナジー軸・メディア軸としよう。そして、これが、前後の軸である。これは、遠近法の軸でもある。思うに、1/4回転で、Y軸へ経てZ軸が出現するとしよう。即ち、X軸とZ軸の関係がここに生じる。これは、プラスZ軸である。
 そう、ここで、イデアの極性を考えた方がいい。プラスX軸とマイナスX軸である。プラスX軸は、プラスY軸→プラスZ軸、マイナスX軸は、マイナスY軸 →マイナスZ軸ではないのか。つまり、プラス軸の1/4回転は、プラス軸へと捩れ、マイナス軸の1/4回転は、マイナス軸へと捩れるのではないだろうか。それとも、プラス軸へ捩れるのだろうか。思うに、これは、プラスX軸の1/4回転においても、問題である。結局、プラスとマイナスの両方の捩れが生じるとしよう。即ち、±Z軸への捩れである。
 問題は、Z軸の意味である。これを高さ/深さの軸としよう。そして、X軸を左右の軸としよう。これは、ヌース理論と類似する。しかし、半田氏は、近代は、垂直に降下すると述べていた。しかし、近代は、ないし、プロト近代は、高さ/深さではなくて、前後・奥行きの方向に関係すると考えられるのである。そして、思うに、20世紀初期の「四次元」指向は、半田氏が述べていたようにアインシュタイン相対性理論の時空四次元で落ち着いてしまったのだろう。つまり、Y軸・虚軸の次元の探究が止まってしまったと言えるだろう。問題は、虚軸、虚次元の問題が消失してしまったことである。現代のあらゆる領域における閉塞は、ここに根因があるだろう。虚次元の喪失である。あるいは、イデア次元(正しくは、差異共振次元)の喪失である。
 ここで、直観で考察しよう。差異共振シナジー界(略して、シナジー界)は、Y軸の方向にあるはずであるが、それが、前後軸・奥行き軸となっている。音で言えば、ステレオ・立体音響となっているのだろう。しかし、これが、もはや、共振していず、連続・同一性化しているのである。実軸化しているのである。これは、光=視覚のもっている連続・同一性化によるのではないだろうか。どうやったら、虚次元・シナジー次元を取り戻すことが出来るのか。あるいは、イマジネーション・ヴィジョン次元を取り戻せるのか。それは、一つは、視覚の身体化ないし身心化によってであろう。あるいは、視覚の触覚化と言ってもいいだろう。視覚のコスモス化とも言えよう。(そう、宮崎駿の「絵」には、視覚的コスモス性があると思う。)視覚の差異化でもある。知性・意識の身体化でもある。これは、幾何学的には何を意味するのだろうか。これは、マイナス軸を肯定することのように思える。即ち、プラスX、Y、Z軸に対して、マイナスX、Y、Z軸を肯定すること。右に対して左、前に対して後、上に対して下の方向である。即ち、太極・対極性の力学である。思うに、プラス方向が光の方向ならば、マイナス方向は闇の方向ではないのか。ここで、KAISETSU氏の光の陰陽極性論を想起する。わかりやすいのが、上下方向である。上は天の方向であり、下は地の方向である。それぞれ、精神と身体の方向と言えよう。しかし、近代主義は、プラス方向(陽方向)の展開・発展であり、それで、閉塞したと言えよう。そう、プラス・エネルギーの展開であったと言えるだろう。それに対して、マイナス・エネルギーの展開が抑圧されたのである。プラス・エネルギーが連続・同一性の方向ならば、マイナス・エネルギーは、差異の方向ではないのか。おそらく、そうだろう。プラス方向は連続・同一性の方向で、マイナス方向が差異の方向ではないのか。思うに、イデア界=ガウス平面の太極(対極・双極)性があるのである。それは、連続・同一性と差異性との極性である。あるいは、光と闇の極性である。あるいは、知と存在との極性である。思惟と延長との極性である。父権と母権との極性である。オシリスとイシスとの極性である。太陽と月との極性である。いちおう、そう仮定しよう。東洋はこの極性の文化・社会を伝統的にはもっていたのに対して、西洋・西欧は、プラス・エネルギー、プラス方向、プラス極性中心の文化・文明であったと言えよう。なぜ、そうなったのか。なぜ、光中心となり、闇が排除されたのか。思うに、イデア界=ガウス平面自体の極性力学があるのだろう。イデア界自体の揺らぎ・揺動があるのではないのか。即ち、プラスへと傾いたり、マイナスへと傾いたりするのではないだろうか。そうならば、西洋文明とは、プラス極へと傾いた極相と言えるだろう。しかし、イデア界の極性力学は当然、揺り戻しがあるのだから、マイナス極へと戻るはずである。これが、ポスト西洋文明の力動であろう。つまり、差異化が発動するのである。プラスへと傾いたイデア界が、マイナスへと回帰するのである。思うに、これは、3/4回転ではないだろうか。最初の1/4回転で、プラス・エネルギーが発動した。そして、2/4回転で、それが、閉塞するのではないのか。そして、新たな1/4回転即ち3/4回転がマイナスX軸から生じる。左方である。これが、マイナスY軸へと移動するのである。これが、後方である。そう、これは、マイナスZ軸を形成するのではないだろうか。つまり、下方である。
 そう、即ち、西洋文明の場合、プラスX軸へとイデア界の虚力が作動し、プラス展開を行なう。そして、徹底的に、光=同一性化がなされる。しかし、プラス極へと達したイデア界の虚力は、今度は、マイナス極へと向かう。原点へと向かう。これが、3/4回転を発生させるのではないのか。そして、思うに、プロトモダンとは、この意味ではなかったのか。つまり、マイナス化がプロトモダンの力動ではなかったのか。しかるに、プラスとマイナスの二元論的分離になってしまったのではないのか。もともと、西洋文明のもっているプラス化に対して、プロトモダンは、マイナス化を意味したが、西洋文明のプラス化の強固さによって、マイナス化が中途半端で終わったのではないのか。それが、近代主客二元論ではないのか。あるいは、唯物論的合理主義ではないのか。心身の二元論化ではないのか。そう、プロトモダンは、マイナス方向へ向かったのであろうが、プラス反動(プロテスタンティズム)で、中和してしまったのではないのか。西洋文明のもっているプラス力で、マイナス力が抑圧されてしまったのではないのか。結局、思うに、西欧近代主義とは、プラス化(産業化・近代合理主義化とマイナス化(ロマン主義ニーチェ哲学、現象学、モダン・アート等)を平行的に生んだと言えよう。そして、今日、前者がグローバリゼーションで支配的なのである。マイナス化をさらに作動させなくてはならないのに、プラス化が主導的なのである。(現代日本は、とりわけてそうだろう。)不連続的差異論は、このような状況で、誕生した。それは、プラス化の連続・同一性化を切断して、差異共振シナジー性を回復したのである。つまり、純粋な、絶対的なマイナス性を取り戻したといえよう。即ち、プロトモダンの回帰である。マイナス化の復活である。これは、思うに、3/4回転である。3/4回転を実現したのである。1/4回転のプラス化の反動性を乗り越えて、マイナス化を実現したのである。これは、結局、プラスとマイナスの極性バランスの実現であろう。そう、太極図が新たに実現したのである。太極の結晶が回帰したのである。太極が永遠回帰したのである。これは、新東洋文明と言えるだろう。というか、新東アジア文化の創造と言えるだろう。
 ということで、不連続的差異論/新プラトニック・シナジー理論は、イデア界の太極性を復活回帰させたと言えよう。プロトモダンの完成でもある。ここで、占星術のことを言うならば、やはり、宝瓶宮水瓶座)のエポックなのだろう。キリスト教的西洋文明が白羊宮から双魚宮への移行・相転移であるとすれば、プロトモダン・新東アジア文明は、双魚宮から宝瓶宮への移行・相転移であるだろう。そう、ルドルフ・シュタイナー占星術は間違っているのだ。やはり、キリスト教に囚われているのだ。伝統的な占星術が説くように、春分点は、宝瓶宮へと移動しているのだ。しかし、思うに、この占星術宇宙とは、イデア界的コスモスと見るべきだと思う。外宇宙の事象ではありえない。内宇宙の事象である。内在的宇宙の事象である。イデア論占星術については、後で検討したい。
 とまれ、簡単にまとめると、イデア界・ガウス平面の太極的極性力学があるという仮説をここで提示したのである。

p.s. 一点確認しておくと、イデア界・複素平面の実軸X軸において、+X軸の方向に、イデア界の「虚力」、即ち、プラスの虚力が作用したときに、1/4回転が発生するのであり、そのプラスの虚力がプラス極に達した後は、《力》は、反転して、原点の方向、マイナス極の方向へと移動する。即ち、マイナスの虚力になる。思うに、原点(0,0)へと向かうことは、2/4回転ではないだろうか。そして、《力》が原点に達してから、マイナスX軸、マイナスX極へと移動するときが、3/4回転と考えられるのである。そして、それが、マイナス極に達した後、再度、原点(0,0)へと逆反転する。これが、4/4回転と考えられる。この原イデアの《力》の極性力学=円運動(プラトンの説)が、螺旋を形成すると考えられる。螺旋は、プラスの原イデアとマイナスの原イデアの双極性があり、プラス・マイナスの二重螺旋になると考えられよう。これが、女媧と伏儀の二重螺旋であり、また、DNAのそれを、また、外宇宙の渦巻星雲を現象させるのだろう。また、思うに、易経八卦の2^3×2^3は、イデア面、メディア面、現象面の三重性の陰陽性を意味しているのではないか。また、太陽系であるが、これは、螺旋形状の横断面ではないのか。太陽系は螺旋形を描いてるのではないのか。
 後で、五芒星(ペンタグラム)と陰陽五行について検討したい。ここで、簡単に予見を言えば、これは、空海の言った「五大(地水火風空)の響きあり」の、五大に重なるだろう。つまり、十字の頂点数プラス中心数、即ち、4+1=5ではないだろうか。十字架に全体の一が入って、正五角形になったのではないのか。