現代日本における、差異共振意識の病的な、恐怖の排除とは何か:差異

現代日本における、差異共振意識の病的な、恐怖の排除とは何か:差異共振意識の「アブジェクション」


「■差異共振意識の病的な排除

私の周辺を見て、差異共振意識を病的に排除している、連続・同一性中心主義自我の集団ではないかと思うのである。悪魔たちである。
 私は、日本の知識人・文化人が、この点の元凶の一つであると感じている。これは、以前、父権的部族主義と呼んだものとなんらか通じていると思う。
 また、モダニズムが、このような精神社会病理の原因の一つと考えられるのである。モダニズムは、差異共振意識を排除する傾向がある。特に、英米モダニズム右派は、差異共振意識であるロマン主義を異端審問的に、排除したのである。T. S. エリオットが「異端審問官」であった。
」とコメントに書いた。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10014762048.html#cbox
 これは、最近はほとんど忘却されているクリステヴァの用語で言えば、差異共振意識の「アブジェクション」である。(参照:
http://www.google.co.jp/search?hs=wlJ&hl=ja&client=firefox&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&q=%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%80%80%E3%82%A2%E3%83%96%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ja

正に、差異共振意識を恐怖して病的に排除していると思えるのである。これは、何を意味するのか。玄光への恐怖であり、排除である。それは、母権文化への恐怖であり、排除である。ロマン主義への恐怖であり、排除である。コスモス・自然・宇宙への恐怖であり、排除である。モダニズムのプロトモダンへの恐怖であり、排除である。西欧米の南欧や東洋への恐怖であり、排除である。オリエンタリズムである。
 私は、これが、現代日本において、ハイパーになっていると感じている。だから、病理的なのである。西洋文明の末期症状とは言えるのであるが。しかし、何故、現代日本においてなのか。真の光・玄光・原光に恐怖して、排除しているのだ。現代日本自体が、一種精神病状態なのである。この原因は何か。何を意味しているのか。
 基本的に理論的には解明されているのであるが、原因を特定化・特異化したいのである。明らかに精神の虚弱さが、ここにはある。真理・真実を見たくないという精神の虚弱さがある。自己を知ることの恐怖感がある。仕事等に自己を滅却させているのである。正に、連続・同一性自我主義である。個・差異・特異性を、意識的に、見ないようにしているのである。戦前・戦中に通ずるファシズム全体主義の精神ではあるが、この意味を知りたいのである。
 世間から孤立することの恐怖があるだろう。しかし、世間が狂っているならば、孤立する方が、正しいのである。知的独立の問題でもある。そう、孤独・孤立化への病的な恐怖、これが、確かに、原因の一つと言えようが、しかし、それでも、まだ、言い尽くしていないと感じられる。
 これは、ニーチェやロレンスが説いた人格の位階の問題である。高貴な人格(魂)と劣弱な人格(魂)の問題に通じるだろう。つまり、精神の高低の問題があるのである。精神の高貴さを恐怖し、排除しているのである。これだ! 戦後民主主義で、卑しい人格(魂)も、選挙権が与えられ、精神の卑賎な人物が、我が物顔で振る舞えるようになったのである。精神の卑賎な人物が、権力の中枢を占めるようになり、彼らが、卑賎な民主主義を作ったのである。それが、現代日本である。ここには、卑賎な精神の、高貴な精神に対する憎しみ・ルサンチマン・嫌悪、等々があるのである。そう、ニーチェ/ロレンスの民主主義批判とは、これに尽きる。ここにこそ、差異共振意識への恐怖と排除の真因があると考えられるのである。
 結局、不連続的差異論/プラトンシナジー理論は、新たな人格論でもあるのだ。新倫理学・新エチカでもあるのである。新しい位階・倫理的位階を設けようとしているのである。精神貴族的民主主義を主唱するのである。現代の卑俗民主主義に取って代わる、精神的民主主義である。
 現代日本に対する嫌悪感の基はここにあったのである。卑しさ、卑賎さ、卑俗さが、支配しているのである。小泉政権が典型的である。母権制とは、精神貴族文化社会であったのである。高貴な女神たちの文化社会であったのである。古代エジプト文化の崇高高貴な女神像は、それを物語っていると考えられる。父権文化社会になって、連続・同一性自我中心主義で、社会は卑しくなったのである。思うに、イエス・キリストは、本来、母権文化社会の魂のようなものであろう。つまり、差異共振意識(=叡知・ソフィア)の象徴だと思うのである。それが、捩じ曲げられて、キリスト教創始者にされたのである。思うに、宝瓶宮♒(水瓶座)の時代とは、新たな差異共振のコスモス・エポック、新母権文化社会であると考えられる。

p.s. 卑しい、卑賤な、劣弱な人格(悪魔)たちは、高貴な人格(魂)を憎悪するのである。現代日本は、悪魔たちが支配しているので、この憎悪的暴力が、高貴な人格たちに向けられるのである。それで、精神を病む者が多いと思うのである。つまり、悪魔たちの暴力の被害を受けている高貴な人格が多いと考えられるのである。高貴なる魂の日本人よ、自己認識と勇気をもって、立ち上がり、この卑賤な悪魔たちの支配した日本を破壊して、新しい高貴な精神の日本を創造せよ!!!