差異共振シナジー・コスモスの幾何学へ向けて:試論1

差異共振シナジー・コスモスの幾何学へ向けて:試論1


先に述べたように、XYZFの直交四次元空間を考える。そして、X軸を起点にして、1/4回転するとき、差異原イデアは、単純に考えれば、Y軸・虚軸に存するべきであるが、捩れの直交化によって、Z軸化すると考えられないだろうか。
 ここで、直観というか、想像を言うと、Z軸は、差異=微分軸とほぼ言っていいのではないだろうか。連続・同一性軸であり、F軸が、積分軸である。近代的三次元空間は、XZF直交空間としよう。そう、Z軸が、光軸であろう。そして、Y軸が、原光軸だろう。一般に視覚は、Z軸の所産である。(ヌース理論は、Z軸をベースにしていると言えようか。虚軸Y軸がないのである。)すると、時間軸とは、やはり、Y軸・虚軸ではないだろうか。
 とまれ、近代合理主義において、Y軸・虚軸が否定・排除・隠蔽されたと言えないか。つまり、差異共振シナジー・フィールドであるY軸・虚軸が否定されたと考えられそうである。また、近代科学によって起こったコスモスの崩壊も、Y軸・虚軸の否定で説明できるだろう。精神理論・精神哲学で言えば、《魂》・心身領域=精神領域の否定・排除・隠蔽である。つまり、唯物論的主客二元論の成立が、精神領域を否定・排除したといえよう。そして、唯物論・主客二元論的近代成立後、Y軸・虚軸が、さまざまな分野・領域で、それも、不正確な形で、探求されたと言えるだろう。芸術分野・領域では、ロマン主義やモダン・アートとして、哲学では、超越論や現象学等として、自然科学では、相対性理論量子力学として、心理学では、無意識論として、人文学では、神話学として、あるいは、神秘学やオカルト主義として、政治・経済・社会的には、左翼運動やファシズム全体主義として、そして、全体的には、構造主義として。結局、それらは、数学的には、虚軸・Y軸を、人文科学的には、《精神》を探求していたと言えよう。虚軸・Y軸=《精神》=差異共振シナジー・フィールド=《コスモス》なのである。
 ここで、ポスト構造主義に触れると、それは、虚軸・Y軸・原光軸と連続軸・Z軸・光軸を混同していたと言えよう。ドゥルーズが典型的である。
 とりあえず、今はここで留めたい。差異共振シナジー・フィールドの幾何学を、次に、考察したい。

p.s. 虚軸・Y軸の発見とは、第四次元の発見ではないのか。アインシュタインの時空四次元が、これで、真に発見されたのではないだろうか。つまり、これまで、時間軸が、不明瞭であったと思えるのである。しかし、虚軸・Y軸を時間軸とすることで、一気に明快明晰となったであろう。しかしながら、これは、虚時間であろう。とまれ、E=mc^2 の問題であるが、この虚軸・虚時間の観点から見ると、マイナス・エネルギーをもたざるを得ないのではないだろうか。これは、KAISETSU氏が述べていたと思うが、プラスとマイナスのエネルギーが発生するのであり、当然、「超」光速があると言えるのではないだろうか。また、ダーク・エネルギーの問題も、これも、KAISETSU氏が述べていたが、これで理解できるようになるのではないだろうか。換言すると、YZ平面をこれまで、無視してきたのである。ドゥルーズガタリは、内在平面という概念で、これに近づいたと思われるが、しかし、差異=微分論という限界のために、真に虚軸には、達していないと考えられる。すなわち、内在平面とは、Y軸を否定したZ軸中心の虚構(連続的差異)平面だと思われるのである。そう考えると、何故、彼らが、『哲学とは何か』で、フッサールの超越論を批判しているかがわかるだろう。超越論とは、虚軸・Y軸を意味するものであり、ドゥルーズガタリの内在平面では、差異=微分であるので、虚軸・Y軸は不要だからである、否、虚軸・Y軸は、差異=微分を破壊する恐怖の存在と考えられただろうからである。ドゥルーズ哲学には、いかがわしさがある。フッサール現象学に正対していないのである。そう、フッサール現象学ノエシスノエマ論やエポケー・還元論は、不連続的なのである。しかるに、ハイデガーがこれを、連続化してしまったのである。そして、ドゥルーズは、ハイデガーの後塵を拝して考えているのである。そう、思うに、ハイデガー自身は、ドゥルーズよりはるかに、いかがわしいと思うのである。ハイデガーを祭り上げている、崇拝している、似非哲学者どもに、呪いあれ!