虚次元・精神次元について:虚軸・Y軸の問題


虚次元・精神次元について:虚軸・Y軸の問題


先に触れた差異共振現象からさらに考察すると、田舎の星空と私が共振コスモスを形成する。この共振コスモスの次元が、虚軸にあると言えるかもしれない。もっとも、星空を現象知覚しているのだから、Z軸から虚軸・Y軸への平面に共振コスモス(レゾナンス・コスモス)があると言った方が正確だろう。これは、現象空間(時空間)においては、言わば、存在しない「現象」である。【フッサール現象学における超越論的主観性が、この「現象」を指すように思える。そう、さらに言えば、間主観性(相互主観性)とは、差異共振シナジー事象であると考えた方が的確だと考えられる。フッサール現象学は、不連続的差異論並びにプラトンシナジー理論の真の先駆と考えられよう。(ドゥルーズ哲学は、確かに、特異性を説いたことで意味があったが、差異=微分論によって、躓きの石となったと言えよう。)また、生活世界も、この差異共振シナジー間主観性)に基づく現象世界と言えよう。これは、差異共振シナジー・エコノコスモスとでも呼べよう。】
 この存在しない「現象」は、虚次元に位置づけるのが、いいと思うのである。そして、これは、同時に、精神次元であると言えよう。何故なら、これは、確かに、現象を末端に含むが、唯物論的現象ではないからである。イデアシナジー現象であるからである。三次元空間は、唯物論空間と近似値的に見られるが、しかし、虚次元は、絶対にそう見ることはできないと言えよう。数学イデアシナジー=精神次元なのである。【これを、霊的次元と呼んではいけない。しかし、英語やドイツ語では、spiritやGeistを使用するので、精神と霊との区別がつかないので、混同されると言えよう。精神とは、イデアシナジーである。霊とは、イデアシナジーを、連続・同一性形式=
物質形式(形相)化したものであり、精神の唯物論的形式化と言えるのである。だから、絶対に混同されてはならない。(ただし、霊学・オカルティズムは、イデアシナジーを連続・同一性形式=物質形式化したものであるので、それを、脱形式的に還元すれば、精神の実在を捉えられることが出来るだろう。)】
 以上から、三次元現象空間(四次元時空間)を「超越」する虚次元・精神次元を新構築することができると言えようし、それが、真実在的なのである。現象三次元ないし四次元こそ、仮象的なのである。
 では、この虚次元・精神次元・コスモス次元が、実生活上、どういう意味があるのだろうか。そう、フッサールの生活世界の問題となると言える。これは、精神生活世界ということになるだろう。問題は、これは、何かということである。これは、ある意味で、新しい宗教の誕生である。しかし、これは、特異性における宗教であり、ポスト・宗教である。これをどう呼んだらいいのか、言葉が出てこない。ポスト宗教的宗教である。新しいコスモス宗教である。一神教多神教である。超宗教である。超神の時代である。新神の時代である。 


コメント



■倫理としての生活世界・コスモス


考えが少し足りなかった。
虚次元・精神次元・コスモス次元の世界とは、倫理の世界でもあるということである。「エチカ」の世界である。実践理性の世界である。(スピノザとカントは、この点で、似ていると思う。後で、検討したい。)
 ここにおいて、過去と未来が出会うと言えよう。そう、ここは、歴史のコスモスでもある。ミューズとは、精神次元に存しているのだろう。思うに、虚次元・精神次元・コスモス次元の発見とは、超ルネサンスとなるのではないだろうか。地球世界ルネサンスであろう。生者と死者と未生者が、共振するのである。また、自然たちと共振するのである。コスモス・ルネサンスである。
renshi (2006-07-23 01:30:06)