精神=差異共振世界という《現実》と自我について:並びに、差異零度

精神=差異共振世界という《現実》と自我について:並びに、差異零度共振シナジー界の科学へ向けて
テーマ:新イデア・共振シナジー理論
不連続的差異論は、今では、NEW PLATONIC SYNERGY THEORY、即ち、新プラトンシナジー理論に発展している。略して、プラトンシナジー理論ないしイデアシナジー理論と呼ぶことが出来るだろう。この発展ないし進展の意味は、簡単に言えば、不連続的差異論において、メディア界が、現象・実際的に、重要な意味をもつようになり、それを深化されるということである。
 さて、本件について、不連続的差異論から考えてみるとわかりやすい。イデア界の根源的発動があり、それが、差異共振的共立のメディア界を形成する。(イデア界においては、差異共立はあるが、差異共振はない。この相違は、根本的原理の一つを意味する。)
 このメディア界が、連続・同一性化して、現象界を形成するのである。メディア界と現象界の境界に、連続・同一性の構造があると考えられる。これは、連続的差異=微分の領域であり、カントの超越論的形式の領域とも考えられる。そして、私見では、連続・同一性に言語形式が介入して、連続・同一性中心主義=自我が発生していると考えられる。そう、近代合理主義・近代自我は、ここに関係していると考えられる。
 この点は、微妙なので、精緻に言うならば、メディア/現象境界において、差異と同一性との争闘・弁証法が発生しているのである。近代意識は、この争闘の表出である。(また、近代における優れた芸術家や思想家は、ここにおいて、差異を同一性より強調している非凡さをもっている。ドイツの大詩人ヘルダーリン【正しい発音は、ヘルダリンである。】が正にそうである。)しかし、近代合理主義は、同一性が差異を否定・排除した自我様態であり、ここから、近代科学・技術が発展したと言えるのである。
 ここで、簡単に、空間・次元意識について触れると、遠近法の発達とは、メディア/現象境界においてであろう。この境界において、同一性が、差異を同一性空間に布置していくのだろう。絵画では、フェルメールが代表的と言えよう。しかし、近代合理主義、近代唯物自然科学・技術・資本主義経済は、この両義的境界領域を、同一性中心主義へと変換するのである。即ち、現象界を物質界へと変換すると言えよう。(だから、思うに、現象界とは別に物質界を提起した方がいいのかもしれない。即ち、1.イデア界/2.メディア界/3.現象界/4.物質界
である。しかし、この場合、現象界は、これまでの、メディア/現象境界となるから、このようにする必要なない。)この同一性中心主義の物質界は、空間を三次元として、それに時間の一次元をもつ時空四次元の空間をもっている(相対性理論)。(現象界=物質界とは、メディア/現象境界の差異を同一性が否定して発生したものと言える。だから、現象界=物質界とは、現象物質界と呼んだ方が適切だろう。近代主義は、現象物質界の合理主義化である。)この時空四次元であるが、これは、現象物質界の時空間ということであり、差異が否定・排除されているのである。しかし、差異は、差異共振界は実在しているのである。その証拠が、光速度一定の公理であると考えられる。差異共振シナジーという実在事象を、現象物質界の視点から見ると、光速度一定となると考えられるのである。つまり、差異共振シナジーとは絶対事象であり、観測点に規定されていないということであろう。これは、差異共振シナジーという時空一体事象があると考えることで理解されるだろう。(この時空一体事象を、近代主義は、空間と時間に分離して、時空四次元としていると思われるのである。)つまり、差異共振シナジー事象とは、零度共振事象であり、同一性現象の根源、即ち、原現象であるのであり、同一性現象における時空分離・時空四次元とは、同一性物質の間の空間をもち、また、空間における移動による時間が発生しているということであるが、その真実在は、差異零度共振シナジー事象である時空一体事象であるということであろう。言い換えると、現象物質界において、同一性=物質による空間配置と時間経過が発現(仮現)しているのである。同一性現象(=物質仮象)が、時空間四次元の仮現であり、真実在は、時空一体事象である差異零度共振シナジー事象である。より正確に言うならば、時空一体ということは、不正確である。なぜなら、時間、空間がそこには存在していないからである。差異共振シナジー事象における「間主観性」があるが、そこでは、たとえば、差異1と差異2とは、一体であるが、同時に、分離しているのである。差異1と差異2との一体性とは、結局、原・同一性、原・連続・同一性のことではないだろうか。あるいは、原・差異=微分のことではないだろうか。原・微分事象がそこにはあるのだろう。原・同一性を点とすれば、原・同一性の一体性・集合体が、原・空間になり、そして、原・空間における「光」の移動が原・時間となるのではないだろうか。即ち、差異共振シナジー事象における、差異の一体と分離という即非の世界(メディア界)において、前者の差異一体において、原・同一性による原・空間と原・時間との原・時空間が発生していると言えるだろう。ここに、発生している共振エネルギーを「光」と記したが、正しくは、原・光であろう。これが、現象界ないし現象物質界において、光となるのである。
 そうならば、差異の分離における共振シナジー・エネルギーはどう考えるべきだろうか。これまで、共振シナジー・エネルギーを原光としてきたが、より精緻化すると、《闇》であろう。即ち、差異零度共振シナジー界(=メディア界)は、差異一体と差異分離との即非世界であるが、差異一体においては、原・光が発生し、差異分離においては、《闇》が発生していると言えるのではないだろうか。
 では、差異分離の《闇》とは何だろうか。留意すべきは、差異零度共振シナジー・エネルギー事象における差異分離の《闇》ということであり、共振シナジー事象から独立させては考えられないものである。即非の世界を前提とした分離である。だから、差異一体の原・光に対応させて、原・闇とすべきだろう。即ち、原・闇/原・光の太極・対極性の世界を考えることが出来るだろう。簡単に言えば、陰陽界でいいことになるが。
 さて、ここで、量子力学について考えたいが、その前に、簡単に確認しておくと、相対性理論とは、差異零度共振シナジー・エネルギー事象の半面の原・光の事象を、現象界・現象物質界から、光速度一定の公理として、把捉したものと言えよう。つまり、差異共振事象(共振事象ないしシナジー事象と呼ぼう)の「光」の側面を把捉したものであろう。そうならば、もう半面の「闇」の側面を捉えていないということである。
 そこで、量子力学について考察すると、粒子と波動の相補性、あるいは、非局所性の概念、等を見ると、明らかに、共振事象を現象物質界から把捉しようとしているのである。波動性は、共振から説明できる。粒子ないし素粒子であるが、それは、ここでの作業仮説であるが、差異分離の差異の反映ではないだろうか。即ち、原・闇=「闇」の、現象物質界的反映ではないだろうか。つまり、差異・イデア(原イデア)を、現象物質主義の視点から、粒子物質・素粒子物質として把捉しているのように考えられるのである。だから、非局所性の概念が発生するのだろう。確かに、非局所性ではあるのだが、ミスリーディングである。なぜなら、非局所性と言ったとき、局所性とのコントラストで考えられているからである。両者を同レベルで考えているのである。これが、誤りと考えられるのである。つまり、差異分離事象の差異・イデアとは、いわば、超越界にあり、局所性の有無が問題にならない世界にあるからである。言わば、存在以前の問題に対して、存在の有無を問題にしているのというようなものである。カテゴリー・エラーである。
 ということで、粒子・素粒子とは、作業仮説的に言えば、物質ではないのである。それは、差異・イデアの反映であるということになる。デリダ的に言えば、差異・イデアの痕跡である。だから、粒子/波動の相補性は、混濁した、不整合な概念であると考えられるのである。ただし、原・光の側面(象面という言葉を造語したいが)で見れば、粒子/波動の相補性は、仮象的に考えられるのであるが。
 とまれ、素粒子を物質として見ている限り、自然は捉えられないだろう。唯物的自然観の限界がここに露呈していると考えられる。素粒子を、差異・イデアの痕跡と見なくてはならない。だから、ポスト・量子力学イデアシナジーダイナミクスを提起しなくてはならない。量子力学は、簡単に言えば、原・闇=「闇」を、原・光=「光」から捉えようとしているのである。つまり、E=mc^2から捉えようとしているのである。つまり、共振事象の半面しか見ていないと言えるだろう。原・闇=「闇」の痕跡である素粒子=原光=「光」しか捉えていないのである。ダークエネルギーとは、この看過されたものを指しているだろう。(思うに、原・闇のエネルギー=「ダークエネルギー」とは、イデア界のエネルギー=元エネルギーに関係しているというか、それではないかと推測されるのである。)
 では、この看過されたエネルギー(取り合えず、陰エネルギーと呼ぼう)は、どのように数式化されるだろうか。これを、D(Darkの略)とすると、作業仮説で、Y軸の1/4回転によって、Z軸が生じるとして、このZ軸を光軸とするならば、D×i=mc^2 であるから、
D=mc^2/i となる。だから、虚数エネルギーである。推測するに、これは、虚次元・虚軸・Y軸の世界の問題である。思うに、Z軸は、i×i(又は、i×j)=−1で、実数・実軸の世界だろう。
 さらに展開して考えると、共振シナジー界(略して、共振界)は、Y軸とZ軸の形成するYZ平面にあるということになるのではないだろうか。現象界からは、この平面やY軸が不可視である。20世紀初期に流行した四次元思想であるが、それは、ここを指しているだろう。空間三次元に対しての、虚軸ないし虚空間の第四次元である。空間・次元の問題に関しては、別稿で検討したい。