資本主義の問題点:投資中心主義批判:投資-復資極性経済:双極資本

資本主義の問題点:投資中心主義批判:投資-復資極性経済:双極資本主義へ向けて


炊事をしているが、誰でもやる人は分かると思うが、後片づけ、汚れた食器を洗う作業が面倒でたいへんなのである。これは、単に物理的な負担だけでなく、精神的負担もある。
 そんなことをいつも感じているのだが、ふと、これは、経済、資本主義に適用できる視点ではないかと思ったのである。つまり、資本主義は、創造的投資を行い、利益を拡大する指向をもつ。これは、いわば、創造的破壊である。そう、投資で、創造するのである。新しい製品、産業、施設、建物、等々を生み出す。しかし、これは、炊事で言えば、おかずを作る、料理するの産出側面であるが、しかしながら、後片づけの側面が欠落しているのである。そう、さまざまなゴミも出るのである。
 これを理論化すると、前者は排他的形成であり、当然、排除されたものがあるのである。つまり、産物と非産物の二元論がここには生じているのである。そして、前者に関心が集中して、後者は無視されるのである。しかし、ゴミが出るし、食器は汚れるのであるから、ゴミを捨てないといけないし、食器を洗い、テーブルをきれいに拭かないといけないし、等の、回帰の側面が必要なのである。これは、「生産」ではなくて、いわば、再構築の側面である。だから、炊事に関して言えば、構築/再構築の極性力学があるのである。極性ダイナミクスである。
 これは、少し考えれば、自然の律動的営為である。つまり、生死の循環である。そう、循環・回帰運動である。サイクルである。私の言いたいことは、リサイクルなのかと言えば、理念的にはそうである。しかし、いわゆる、リサイクルではないことはお分かりになるだろう。通常のリサイクルは、ゴミ、他に限定されるからである。
 私の考えているリサイクルは、経済全体におけるそれである。生産と消費が対にされて論じられるが、それは、私がここで言う極性にはあてはまらない。炊事の視点から見ると、生産と消費は同じ極に属するのである。つまり、生産・消費には、再構築の極・視点が欠落しているのである。生産・消費は構築極なのである。すると、当然、破壊が生じているのである。極性論から言うと、それに見合う再構築・再創造の営為が必要なのである。だから、生産・消費という破壊的創造の経済に対して、再構築・再創造の経済が必要であるということである。
 ここで、資本主義を考えると、それは、自明的に前者である。いわゆる、リサイクルは、前者の枠組みのものに限定されていると言えるだろう。
 ということで、炊事の視点・極性力学から見ると、対資本主義経済が必要である。資本主義をプラス経済とすると、マイナス経済が必要なのである。そして、結局、根本的には、極性経済が必要であるということになるのである。これは、ポスト資本主義であろう。
 では、どうすれば、いいのだろうか。思うに、現在の構築資本を、再構築資本を含む極性資本にすれば、いいのではないだろうか。投資に対する再構築資本が必要とされよう。これは、投資ではなくて、戻資(れいし)、返資(へんし)、復資(ふくし)、元資(げんし)、等である。とりあえず、復資と呼ぶ。結局、投資と復資の極性をもつ経済が必要であると言うことである。極性経済であるが、投資と復資の極性を考えて、極性資本主義ないし双極資本主義と呼べよう。
 後でさらに検討したい。