ニーチェ哲学のすばらしさ:連続・同一性絶対批判:サル人類からコス

ニーチェ哲学のすばらしさ:連続・同一性絶対批判:サル人類からコスモス人類への進化


テーマ:ポスト民主主義/差異共振シナジー政治


今から、20年以上前に、反感を覚えながらも、ニーチェの著書を読んだものである。
 しかし、今や、それは、私の血となり肉となっている。先ほど、民主主義批判について検討して、ニーチェの鋭利な批判の正しさを、あらためて、認識した次第である。
 ニーチェは、容赦ない近代主義全否定である。キリスト教への批判は熾烈である。それは、民主主義批判となる。私は、前者をこれまで肯定し、後者は否定してきたが、後者が正しいことがわかった。みんなひとつながりなのである。キリスト教--民主主義--近代科学--ルサンチマン、即ち、連続・同一性のセリー・系列である。また、ここには、当然、社会主義も含まれる。当然、資本主義も含まれる。連続・同一性一切合切の批判である。
 ここにあるのは、単独性・特異性・不連続的差異の思想である。ニーチェは、積極・能動的ニヒリズムで留まったが、含意されているものは、コスモス主義である。新コスモス主義である。
 結局、これは、ポスト・西洋文明である。これは、連続・同一性自我主義文明である。差異は否定されるのである。ニーチェが高く仏教を肯定したことを確認しないといけない。仏教は、本来、連続・同一性批判思想である。
 何故、連続・同一性自我文明なのかと言えば、それは、印欧語族、アーリア民族が、「遺伝子」的に、連続・同一性自我「遺伝子」を強くもち、差異「遺伝子」が劣弱か欠落しているためではないかと思われるのである。これは、構造的欠陥なので、どうしようもないだろう。だから、差異「遺伝子」をもつ人類が、これを超克するしか人類に生きる道はないのである。サル人類からコスモス人類への大進化の岐路に今や人類は達したのである。