強い差異と弱い差異とは、零度エネルギーの強弱から生まれる

強い差異と弱い差異とは、零度エネルギーの強弱から生まれる


以下は、「強い差異と弱い差異」の後記を独立させたものです。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10016108918.html
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1)零度差異の質の相違について
2)女性と男性の差異の相違について


1)について検討すると、私の直観では、強い差異とは、連続・同一性化しても、零度差異が残っているのであり、弱い差異とは、連続・同一性化によって、零度差異が否定・排除・隠蔽されるようなイメージなのである。この点をどう説明するのだろうか。
 つまり、イメージでは、強い差異は、その一部が、連続・同一性化されるのであり、他の部分は、零度のまま残るのである。そして、弱い差異は、ほぼ全体か全体、連続・同一性化するのである。
 ここで、基本から考えると、零度エネルギーとは極性エネルギーだから、プラスとマイナス両極をもちうるのである。そして、プラス・エネルギー化したときは、当然、反作用として、マイナス・エネルギーが発動するのである。これが、自然作用である。
 しかし、弱い差異は、イメージでは、この反作用であるマイナス・エネルギー化が連続・同一性による反動を被るのである。つまり、プラス・エネルギーによる連続・同一性構造が、マイナス・エネルギーの賦活・差異エネルギーの賦活に反動的作用をもたらすのである。このイメージと上述した差異の連結の多様性はつながるのだろうか。
 次のように考えたらどうだろうか。零度エネルギーとは、常時の生成変化・生成消滅作用である。だから、プラス・エネルギーによる連続・同一性化も、零度エネルギーによって、常に解体化を被るのである。思うに、零度エネルギーの強弱が、ここで、重要な点のように思える。強い零度エネルギーならば、強い生成変化・生成消滅作用を発生させるのであり、弱い零度エネルギーならば、弱い生成変化・生成消滅作用をもたらすと、単純に考えられるだろう。
 ということで、強い差異とは強い零度エネルギーであり、それは、強い生成変化・生成消滅作用をもっているのに対して、弱い差異とは弱い零度エネルギーであり、弱い生成変化・生成消滅作用をもっていると考えられる。そして、プラス・エネルギーによる連続・同一性自我構造に対して、強い差異は、零度差異共振性を維持するのに対して、弱い差異の連続・同一性自我構造は、おそらく、その慣性から、それ自体の弱い零度エネルギーを否定・抑圧・隠蔽する反動作用をもつのではないかと考えられるのである。
 そうならば、上述した多様な連結性の有無は、直接は関係ないことになるだろう。それは、結果に過ぎない。だから、ここで、訂正する。強い差異と弱い差異の相違は、差異の多様な連結の有無に起因するのではなくて、零度差異共振エネルギーの強弱・大小に拠るということになる。
 ということで、強い差異と弱い差異とは、零度エネルギー=差異エネルギーの強弱に拠ると言うことができるのである。これを現段階での結論としたい。

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p.s. 本文の通りならば、強差異遺伝子と弱差異遺伝子があることになり、西欧近代主義とは、後者による世界支配であると言えよう。結局、これは、人類の劣化ないし退化ではないだろうか。イタリア・ルネサンスは、前者であったが、プロテスタンティズムが後者であり、前者を否定していったと言えよう。
 問題は、既述したが、弱差異遺伝子の発現の意味は何であるのかである。それが、現代、人類を絶滅の危機に陥れているのであるから。
 それは、一言で言えば、唯物科学・技術の発達ではないだろうか。そう、これがなければ、コンピュータは存在しないだろう。「科学・技術」、これである。また、「民主主義」。結局、先に触れたが、同一性の知をもたらしたことだろう。同一性的一般性をもたらしたのである。同一性原理の完成、これが、弱差異遺伝子の発現の意義だろう。

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p.p.s. 現代世界は転倒している:精神弱者が世界を支配して、人類を滅亡の危機に陥れている

ニーチェは、まったく正しい。
弱差異遺伝子の「賎民」が世界を支配しているのである。
西洋文明は、弱差異遺伝子と強差異遺伝子との混合であるが、近代は、前者が後者を否定してしまったのである。西洋文明の末期、ポスト西洋文明の時代、新コスモス文明の時代である。

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3p.s. 以上の考えから、女性の差異と男性の差異との相違点は、もはや明らかだろう。前者は、本来、強差異遺伝子をもち、後者は弱差異遺伝子をもっているのである。つまり、おそらく、イデア界がもたらすメディア界の変化によって、プラス・エネルギーが賦活される事態が発生して、それにより、男性の弱差異遺伝子が活動の機会を得て、女性の強差異遺伝子の文化・文明、例えば、女神の文明(シュメール文明、クレタ文明、前ケルト文明、縄文文明、等)を破滅させたのである。そして、女性的宗教が、魔術・魔道として、扱われたのであり、女性司祭が魔女となったのである。【この点については、ジョセフ・キャンベルの『神の仮面』(白水社)を参照されたい。】
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4791753917/sr=8-1/qid=1156214854/ref=sr_1_1/250-8960880-5103431?ie=UTF8&s=gateway
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http://www.amazon.co.jp/gp/product/014019441X/ref=pd_sim_b_4/250-8960880-5103431?ie=UTF8




 しかし、今や、弱差異遺伝子・男性・父権主義・西洋文明は末期現象となっている。新しい強差異遺伝子の地球/コスモス・エポックが始まるのである。占星術では、水瓶座宝瓶宮の時代と言っている。不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論では、差異共振シナジー・エネルギーのエポックである。


■現代世界は転倒している:精神弱者が世界を支配して、人類を滅亡の危機に陥れている

ニーチェは、まったく正しい。
弱差異遺伝子の「賎民」が世界を支配しているのである。
西洋文明は、弱差異遺伝子と強差異遺伝子との混合であるが、近代は、前者が後者を否定してしまったのである。西洋文明の末期、ポスト西洋文明の時代、新コスモス文明の時代である。