自己愛性人格障害について:人類の退化と超次元知的存在の進化

自己愛性人格障害について:人類の退化と超次元知的存在の進化


自己愛性人格障害という視点は、実に、現代の自我の病理をうまくつかんだものであり、その原因の説明もいちおう整合性をもっているように思えるが、私の疑問は、根本的にこの障害は、人間として、許せないものがあるがあるように感じられる点から発するのである。
 つまり、親に見捨てられるかもしれないという不安をもつが故に、自己愛が過度になるということであるが、これは、もっともらしい説明であるが、ほんとうにそれで正しいのだろうかという疑問があるのである。この点を少し検討したい。
 私なりに言えば、自己は自己、個は個である。それは、それで、本来、独立した存在である。不連続的差異論から見ると、自我・個とは、不連続的差異であるのである。だから、親から見捨てられる不安があっても、「私は私」であって、いわば、独立不羈なのである。だから、自己愛性人格障害は起こらないはずなのである。個・自我のコナトゥス(自己保存力)があるのである。だから、この件について、私なりに、もう一度考えたい。
 自己愛性人格障害は、人間として、きわめて、弱いという印象があるのである。ひょっとして、これは、退化の兆候ではないだろうか。そう考えるのが、一番明快だと思うのである。人間が、強さを喪失しているのである。これは、自他を破壊するものであるから、人間社会は破滅すると考えられるのである。
 これは、ひょっとして、自然の意志のようなものではないだろうか。力の喪失である。精神の衰えである。やはり、私が考えるような超次元知的存在への進化が始まっていることの証ではないだろうか。つまり、自己愛性人格障害は、退化する猿人類が起こしているのではないだろうか。
 では、もし、そうなら、それは、どういうことなのだろうか。つまり、力・精神の欠落した人間が増殖し、互いに攻撃し合う構図がここにある。自滅・破滅・滅亡路線である。そう、確かに、人類の末期・終末相ではないだろうか。ノアの方舟ということが浮かぶ。ほんとうに、人類末の世界がやってきたのだろう。猿の惑星である。



http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Noahs_Ark.jpg

 では、超次元知的存在へと進化する「人類」が現在居るということになるのであるが、彼らは、どうやって、新しいコミュニティを創造するのだろうか。明らかなことは、猿人類は、創造性がないので、退化し、衰亡するということである、滅亡することはないとしても。
 とまれ、超次元知的存在のためのコミュニティの建設が必要となるだろう。彼らは、創造性に満ちているので、どんどん進展するだろう。愚劣な猿人類は、力・智慧がないので、衰亡するのである。

超次元コミュニティ

新創世記だ!