「地中海」の思想:『南の思想』からの抜粋

以下は、『南の思想 地中海的思考への誘い』(フランコカッサーノ著 講談社選書メチエ 2006年)を拾い読みして、抜粋したものである。ddps理論(不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論)につながる考え方がここにあるだろう。思うに、この「南の思想」、「地中海の思想」は、ddps理論によって理論化されているのではないだろうか。
 もっとも、ここで、語られていることは、いわば、再確認になるのだが、現代日本の「自己愛性人格障害」が蔓延した超閉塞感状況に、自由の、解放・開放的な、爽やかな風をもたらしてくれる。



南の思想

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《海と認識論の間には、どのような関係があるのだろう。古代ギリシア文化の誕生に、陸と海の関係は単なる偶発的な役割を果たしただけなのか、それともそれは、決定的であったのに軽視されてきた要因なのだろうか。この関係がもし本当にあったとしたら、海はギリシアにとって、ギリシアの哲学、そして哲学そのものにとっては何を意味するのか。またそこからは、今日のわれわれにとって、どのような結果が生じたのだろうか。
 われわれの考察のもとになるのは、ギリシアの地勢--とりわけ陸と海の関係--とその文化のあいだには構造的な相同性がある、という仮説である。》 p.33〜p.34

ギリシアの海と言えば言うまでもなく地中海だが、それよりもまずエーゲ海である。エーゲ海には、より大規模にすれば地中海の特性になるものが、すべて奇妙な強度で凝縮されている。・・・ギリシアは三大陸の真ん中の群島であり、その島々は海に撒かれた小石である。人は飛び石づたいに一つの大陸から違う大陸まで行くことができる。ここでは「小ヨーロッパ」が「小アジア」に続いている。
 つまり、ことの始めから、ギリシアは境界に位置し、境界を内在化させているのだ。それは出会いと衝突の場であり、そこでは戦争、貿易、旅行、探検が役割を交互に替えながら重なり合い、ついには一つに混ざり合う。ギリシアは閉じることのできない場、開かれたフロンティアの社会、「液体の都市」(・・・)であり、関係と闘争へと宿命づけられている。それはマイナーな地であるからこそ偉大な地、大陸の独我論から遠く離れた海岸の地なのだ。》
p.35

《・・・エーゲ海と地中海は地と陸を分かち、大洋の過度なそれとは異なった距離を定める以上のことはしない。エーゲ海と地中海は、陸と海の間の強い非連続性を表象するが、と言ってそれは、陸を放棄して方法を失うことではない。
 ・・・
 エーゲ海と地中海との距離は、関係と接触・・・を可能にする。この海は何よりも・・・ポントス、海の腕、対岸に遠く離れた「他者」と結び/離す橋である。この結びつける間隙、関係を結ばせる距離は、自己の自律性を守ろうとするかたくなさや、たやすく争いに転じる性格を持つ。だが、同時にそれは、皮膚が同時に体に結びついているように、あらゆる原理主義への嫌悪とも固く結びついている。
 つまり、ここでは問題は、初めからさまざまな差異--複雑で対立的な、そしてしばしば悲劇的な力学をふくむ--の関係からなっているのだ。この海、内であると同時に外であり、そこに住まうこともできれば超えて行くこともできるこの海/境界は、同一性による支配を遮り、分裂を受け入れなければならなくする。》
p.36〜p.37

ニーチェは言う、「他の民族は聖人を持つが、ギリシア人は賢人をもつ」(・・・)。しかしこのように智慧とそれへの愛へと異例に開かれているところに、まさに「ギリシアの奇跡」がある。》p.39

《海は垂直的であった思想を水平的にし、陸の固定性を波の絶えない無限の動きに向き合わせる。
  ・・・
プラトンの『対話』を生んだ都市--市民の生地は、旅と対決に慣れた移動の好奇心に富む社会、全員を議論のアゴン(対立)に参加させる知の水平性を示している。》 p.40〜p.41

《差異はつねにロゴスによって馴致されているわけではない。差異はときとして、議論に従うことができない。》 p.43

《ロゴス同士の関係は(対話)は必ずしもロゴスの自由になるものではない。この関係の一つの局面としては、つねに戦争(ポレモス)がある。アゴン(対立)はかならずしも共通する規範内にとどまっているとは限らない。》 p.43

ギリシアの都市の中心には王宮や神殿ではなく、アゴラ(広場)がある。アゴラはすべての人が対等者として出会う場であり、唯一の真実の場ではなく、複数の真実が対立する場である。アゴラの市場は単なる商品の交換の場以上の場所である。ペルシアのキュロス大王が批判的に指摘したように(・・・)、それはノモス(法律)の非自然的で協定的な意味が現れ出る場である。ギリシア群島の都市の多義性は宗教や帝国の言葉の一義性と対抗する》 p.45