正気教へ向けて:キリスト教が、現代の狂気の原因である

現代日本の狂気は、また、世界の狂気は、はっきり言って、キリスト教が原因であると私は考える。キリスト狂である。あるいは、ユダヤ・キリスト狂である。なぜなら、これは、自我狂であるからである。古代の叡知は、プラトンや仏教を含めて、自我からの脱却を説いているのである。しかるに、ユダヤ・キリスト狂は、自我狂なのである。このために、日本や世界は、狂っているのである。狂気の神である、ヤハウェは。グノーシス主義は、世界の神は、邪悪な神としたが、世界の神ではなくて、ユダヤ・キリスト狂の神は、狂気の神だと思う。狂気神が、ユダヤ・キリスト狂の神である。
 狂気の神が、世界を動かしているのである。正気の神はいないのか。ポスト・ユダヤ・キリスト狂としての正気教が必要だ。
 

狂気の神からの脱出。
出狂気神である。


問題は、なぜ、狂気の神が信仰されるようになったのかである。邪教信仰である。あるいは、何故、狂気が必要とされるのかである。それは、欲望のためだろう。自我欲望の満足のために、狂気が必要となったのだと思う。仏教は、これからの脱却を説いたのである。また、プラトン哲学も、共通しているだろう。しかるに、ユダヤ・キリスト狂は、自我狂である。そう、イデアの反転としてのヤハウェ狂気神があるだろう。
 どうも、はやり、ニーチェキリスト教批判は正しいように思う。賎民の宗教である。賎民の反乱である。賎民たちの反乱としての、狂気神信仰であろう。ならば、ユダヤ・キリスト狂とは、退化の宗教ではないのか。人類の退化を意味する宗教ではないのか。そうすると、この二千何百年と、人類は退化しているということになるだろう。
 ジョージ・ハリスンが、クリシュナ神に祈ったのは、正しいのだ。今や、進化のための宗教が必要であろう。進化のための叡知が必要であろう。正気の進化のために。



http://en.wikipedia.org/wiki/Image:YoungKrishna.jpg


p.s. 先に、イデア界を自我と考えたので、この点、キリスト教と共通してしまうので、再考が必要である。正しく言えば、イデア界は、特異性、単独性、不連続的差異、絶対的差異である。だから、イデア界を自我というのは、現象界の同一性自我と区別がつかなくなり、きわめてミスリーディングであるし、また、実際、誤謬である。ここで、先のシュタイナーの人体論との比較論を訂正しないといけない。
 シュタイナーは、人体を、自我・アストラル体エーテル体・物質体の四元論で構成させている。しかし、プラトニック・シナジー理論では、特異性・共振シナジー・構造エネルギー・「自我」と仮説しよう。特異性は、特異個とも呼べよう。共振シナジーは、メディア界である。そして、構造エネルギーとは、量子に相当するだろうし、「気」の「物質」的エネルギー的側面である。「自我」は、同一性自己意識である。
 結局、特異性の「個」をどう見るのか、ポイントである。やはり、不連続的「個」とした方が明快である。だから、1.不連続的差異・2.共振シナジー・3.構造エネルギー・4.「自我」の四元論構成を考えることができる。


p.p.s. 構造エネルギーの構造とは、メディア/現象境界構造である。つまり、共振シナジー/「物質」の境界構造である。ここを押さえておきたい。正確に言えば、量子は、この構造の「物質」ないし「物質」像である。そして、「気」は、この構造エネルギーと言えるだろう。