自我と近代的自我:他者否定の構造について

自我と近代的自我:他者否定の構造について


テーマ:プラトニック・シナジー理論


先に、反差異的同一性=自我という定義を提出したが、近代的自我を考えると、それは、当然、自我の近代的形態である。では、近代的形態とは何かと言えば、それは、反差異的同一性に、合理性を与えた形態だと言えるだろう。例えば、中世的自我と近代的自我の区別があるが、前者においては、反差異的同一性とは、悪徳さらには悪魔であったろうが、後者では、言わば、善、真理である。中世においては、差異は神と結びついていたのであり、差異=神と反差異的同一性=自我=悪徳・悪魔であると考えられる。つまり、中世においては、メディア界=差異=神が存在しているのであるが、反差異的同一性であることは、神への反逆という意味があったのである。つまり、中世においては、差異が神という観念で存在していたのであり、反差異的同一性=自我であることは、容易なことではなかったのである。即ち、(i)*(-i)という差異の様相が、存していたのであり、近代的自我のように、(i)*-(- i)であるということではなかったと考えられるのである。これで、近代的自我が(i)*-(-i)であると定義していいことが根拠付けられたと言えよう。
 さて、ここから、明確に、近代的自我の他者否定の原因、即ち、(i)*-(-i)の最初の-について、考察することができるのである。あらためて問おう。何故、近代的自我は、他者である(-i)を否定するのか、と。これは、思うに、中世的自我と比較することで、了解されるのかもしれない。つまり、近代的自我においては、(i)*(-i)の(i)が強化されたと考えられるのである。おそらく、中世においては、(-i)が強いのである。そう、神が、(- i)と言っていいだろう。自己が(i)である。つまり、中世においては、自己(原自己)(i)→他者・神(-i)なのである。しかし、近代においては、→ が反転しているのである。→の反転が、マイナスを意味しているだろう。即ち、近代的自我の原因である。
 ならば、この反転の発生原因は何なのか。ここで、いくつか原因を考えることができるが、今、ここでは、次のように考えよう。即ち、→である志向性に+志向性と−志向性の極性があり、−志向性が反転であり、−(−i)を発生させるのである、と。だから、+志向性とは、(i)→(-i)、即ち、(i)*(- i)を意味するのであり、−志向性とは、(i)←(-i)、即ち、(i)*-(-i)を意味するのである、ということになる。ここで、+志向性を+エネルゲイアとすれば、−志向性は−エネルゲイアと考えることができるのではないのか。とりあえず、これを作業仮説として議論を進めよう。
 そうすると、+エネルゲイアのときは、(i)*(-i)⇒+1となり、−エネルゲイアのときは、(i)*-(-i)⇒−1となるのである。ならば、近代的自我の他者否定とは、−エネルゲイアが原因である、ということになるのである。ここで、問題は微妙な事柄となるのである。+エネルゲイアと−エネルゲイアの発生の力学は何か、ということになるのである。+エネルゲイアは、他者を肯定するのであるから、即非エネルギーと呼べるだろう。それに対して、−エネルゲイアは、他者を否定するのであるから、自己(原自己)同一性エネルギーと呼べるのではないだろうか。換言すると、再帰エネルギー、ないし即自エネルギーである。即非エネルギーは他者へのエネルギーであるから、対自エネルギーと呼ぶこともできよう。(注:ここでは、明日野氏の用語には沿っていない。後で、整合性を考えたい。)
 さらに思考を進めると、+エネルゲイア即非エネルギーとは、闇のエネルギーであり、−エネルゲイア=即自エネルギーとは、光のエネルギーではないのか。このように考えると、近代において、遠近法が発達した理由が説明できるだろうし、また、外界への自己投影である客観主義、近代科学、そして、唯物論が発達した理由がわかるのではないだろうか。闇のエネルギーの喪失としての近代主義を考えることができるであろう。(参考:ダーク・エネルギーは、これで説明できないのか。また、D. H.ロレンスの黒い太陽dark sunもこれで説明できるのではないか。また、『老子』の玄牝(げんひん)であるが、これとの関係があるのではないのか。また、神秘主義一般であるが、それは、これで説明がつかないのか。ヤコブベーメ等の闇ないし無はこれで説明がつくのではないのか、等々。)
 では、この+と−の交替の力学は何であるのか。これは、メディア空間、即ち、超越空間(内超・降超空間)では、永遠であり、非時間的事象であると考えられよう。+と−は同時生起である。しかし、+エネルゲイアは、1/4回転ではないのか。零度差異共振シナジーの発生ではないのか。そして、これは、垂直の捩れを発生させるのであり、これが、時間現象、時空四次元現象となるのではないのか。そして、それに遅延して、−エネルゲイアが作用するのではないのか。それは、現象の消滅ではないのか。生成と消滅、生と死、エロスとタナトス、平和と戦争、創造と破壊、コスモスとカオス、世界と反世界、等々ではないのか。
 もし、この作業仮説が正しいのならば、近代的自我とは、−エネルゲイアともつので、破壊の様相である。ならば、これが、極まると、ゼロ・エネルゲイアとなり、新たな創造が開始することとなるだろう。新たな+エネルゲイアが発生するのである。螺旋的回帰である、何故なら、1/4回転によって垂直に捩れているからである。新しい差異共振シナジーの生成である。新しい神の誕生である。西洋も東洋も超克されて、新コスモスとなる。新コスモス文明の誕生である。