光認識は、何故優位になったのか:2

光認識は、何故優位になったのか:2


テーマ:プラトニック・シナジー理論


先に本件について検討したが、まだ問題が残っているので、再検討したい。
 ここで、仮定として西欧近代主義がなかった場合の人類社会を想定してみよう。当然、近代科学・技術・産業の物質主義的文明は発達しない。自然を物質化したことで、それらは発達したのである。思うに、ルネサンス的科学・技術・産業が可能であろう。コスモス的科学・技術・産業である。そして、コスモス的文化・経済・政治・社会が可能であろう。(私は、これを目指すべきだと考えている。)そして、コスモス的自己が誕生するだろう。そう考えると、西欧近代主義は、どうも、常軌を逸していると言わざるを得ないだろう。
 父権主義の暗さ、キリスト教の暗さがあるのである。闇を否定する故の暗さ・闇である。このように見ると、根本の父権神話に、古代における父権国家の検討に戻ることになる。母権神話から父権神話への移行。母権制から父権制への移行。狩猟採集・農業社会から、遊牧民の、それも、定住した社会へ。思うに、陰陽世界から、陽中心主義世界への変化である。この革命的変化は何なのか。ここに人類史の最大の謎の一つがあるだろう。
 何故、インド・ヨーロッパ語族(アーリア民族)は、中央アジアから、周辺へと移動したのか。気候変動に拠るのか。作業仮説として、彼らは、天神の文化民族であるとしよう。iの文化民族である。
これは、同一性暴力・支配の文化民族である。つまり、明らかに、陽エネルギーに傾斜した文化民族である。陽光の民族であり、暗黒を否定する。一種、ゾロアスター的である。しかし、私の直観では、陽光・光明とは、闇・暗黒から生まれるものである。夜明け・黎明・曙光である。イメージとしては、イシスの闇からオシリスの光が誕生するのである。輝かしい太陽は、イシスの闇・子宮・母胎から誕生するのである。(これは、日御子・「天皇」神話と共通であろう。)これは、母権神話である。問題は、いわば、オシリスがイシスから分離・独立することである。エジプトで言えば、ファラオー信仰である。太陽・日の独立とは何なのか。月と日との太極が解体しているのである。易経で言えば、陰から陽への転化である。陽へとすべてが、変じて、陰を否定するようになったということのように思えるのである。つまり、(-i)→iである。身体から精神への移行である。これは、革命である。身体の闇から精神の光へと転換したのであるから。これは、実質的な意味があると考えられる。この陰から陽への転換、これが、父権主義の意味だろう。そして、これが、究極・終極的には、西洋文明、西洋近代文明を形成したと言えるだろう。
 このような仮説に立つなら、西洋近代文明、近代合理主義の意味も理解できるだろう。つまり、人類史における陰から陽への転換の帰結であるということである。しかし、古代ギリシア文明、イタリア・ルネサンス文化のように、太極を保持する文化も形成されたのである。しかしながら、陽中心主義によって、それらは、破壊されたと言えるだろう。そう、一神教は明らかに、陽中心主義であり、キリスト教は本来、ユダヤ一神教に対する太極智のルネサンスであろうが、それも、一神教への取り込まれて、三位一体「セントラル・ドグマ」が形成されたのである。
 結局、陰から陽への転換とは何か、ということになる。今の考えでは、何らかの宇宙・コスモス・地球的変動があったということである。そのために、太極文明が崩壊して、陽中心主義文明が形成されたのである。2/4回転によるつまり、i*i⇒−1の文明の発動ではないのか。すると、現代は、3/4回転に達しつつあるのである。それは、i*i*i⇒-iである。つまり、身体である。闇である。しかし、零度共振である。闇・身体・地の零度共振である。一先ずここで留めて、後でさらに検討を続けたい。