検討問題:日本の戦後とは、西欧の近代初期と類似しているように思え

検討問題:日本の戦後とは、西欧の近代初期と類似しているように思える


テーマ:日本再生・東洋ルネサンス計画


敗戦により、天皇人間宣言して、宗教の時代が終った。それは、日本の「神の死」であったろう。それは、西欧のポスト中世・近代初期の「神の死」と類似するように思える。
 それは、コスモスの崩壊である。自然との絆の崩壊である。唯物科学が蔓延ったのである。その結果が、現代の亡国状況である。漱石が言ったように、日本は滅びる(滅びたの)だろう。
 とまれ、「神の死」から唯物科学主義への移行が、致命的であったようだ。夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読みたい。あるいは、ドストエフスキー

p.s. 日本人の神を失わせたものは何であったのか。折口信夫は、民族の力が、民族の神にあることを知っていた、稀有の日本人である。私は神道の復活が必要だと思う。もっとも、神仏習合的な神道である。




死者の書身毒丸 (文庫)
折口 信夫 (著)
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「いかなる国民と言えども、科学と理知を基礎として、国を建設しえたものは、今日まで一つもない。・・・社会主義はその本質上、無神論たるべきものである。なぜならば、彼らは劈頭(へきとう)第一に、自分たちが無神論的組織によるものであって、絶対に科学と理知を基礎として社会建設を志すものだと、宣言しているからである。理知と科学は国民生活において、常に創世以来今日に至るまで第二義的な、ご用聞き程度の職務を司(つかさど)っているに過ぎない。・・・国民はまったく別な力によって成長し、運動している。それは命令したり、主宰したりする力だ。けれど、その発生は誰にもわからない。まあ説明することもできない。この力こそ最後の果てまで行き着こうとする、あくことなき渇望の力であって、同時に最後の果てを否定する力だ。これこそたゆむことなく不断に自己存在を主張して、死を否定する力である。聖書にも書いてある通り、生活の精神は『生ける水の流れ』であって、黙示録はその枯渇の恐ろしさを極力警告している。それは哲学者のいわゆる美的原動力であって、また同じ哲学者の説く倫理的原動力と同一物なのだ。が、僕は最も簡単に『神を求める心』と言っておく。民族運動の全目的は、いかなる国においも、またいかなる時代においても、ただただ神の探究のみに存していた。それは必ず自分の神なのだ。ぜひとも自分自身の神でなくちゃならない。
  ・・・
理性はかつて一度も善悪の定義を下すことができなかった。・・・哀れにも見苦しくも、この二つを混同していたのだ。・・・ことにこの特長を備えているのは、半科学である。これは現代にいたるまで、人に知られていないけれど、人類にとって最も恐るべき鞭(むち)だ。疫病よりも、飢えよりも、戦争よりも、もっと悪い。半科学、ーーこれは今まで人類のかつて迎えたことのない、残虐きわまりなき暴君だ。・・・」(p. 437〜p. 439)

「神を国民の属性に引きおろすって!」とシャートフは叫んだ。「まるで反対だ、国民を神へ引き上げたのです。第一、ただの一度でもこれに反した事実がありますか? 国民、ーーそれは神の肉体です。どんな国民でも、自己独得の神をもっていて、世界におけるその他のすべての神を、少しの妥協もなく排除しようと努めている間だけが、本当の国民でありうるのです。自己の神をもって世界を征服し、その他の神をいっさいこの世から駆逐することができる、とこう信じている間がのみが、本当の国民と言えるのです。
 ・・・
もし偉大なる国民にして、おのれのうちにのみ真理ありと信じなかったら(・・・)、もしその偉大なる国民が、われこそ自己の真理をもって万人を蘇生させ、救済するの使命を有し、かつそれをなし遂げる力があるという信仰を欠いていたら、その国民は直ちに人類学の材料と化して、偉大なる国民ではなくなるのだ。真に偉大なる国民は人類中において第二流の役どころに甘んじることがどうしてもできない。いや、単に第一流というだけでは足りない。ぜひとも第一位を占めなくては承知しない。この信仰を失ったものは、もうすでに国民ではなくなっているのだ。しかし、真理に二つはない。したがって、たとえいくつもの国民が自己独得の、しかも偉大なる神を有するにせよ、真の神を有している国民はただ一つしかない。『神を孕める』唯一の国民ーーこれは、ロシヤの国民なのだ、・・・」
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「僕はロシヤを信じます、僕はロシヤの正教を信じます・・・僕はキリストの肉体を信じます・・・僕は新しい降臨がロシヤの国で行なわれると信じています・・・僕は信じています・・・」とシャートフは夢中になりながら、しどろもどろに言った。( p. 440〜p. 443)

『悪霊』(上)米川正夫訳 岩波文庫 



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■安倍政権、内なる高揚感と外なる絶望感・喪失感

2006.12.17 Sunday
安倍政権、内なる高揚感と外なる絶望感・喪失感
http://blog.kaisetsu.org/?eid=492426
kaisetsu (2006-12-17 08:06:29) [コメント記入欄を表示]