認識と身体:ガウス平面上の1/4回転力学に基づく自然・宇宙(コス

認識と身体:ガウス平面上の1/4回転力学に基づく自然・宇宙(コスモス)の歴史・進化


テーマ:自己認識方程式(i)*(-i)⇒+1関係


もう一度、認識と身体について考えたい。先に認識が存在であると述べた。志向性は存在でもあるのである。知即存在である。これは、言い換えると、思惟即延長ではないだろうか。あるいは、精神即身体ではないだろうか。心即身体である。
 しかし、先に、連続的同一性によって、物質化が生起すると考えたのである。心身二元論である。i*(-i)であるが、これは、主体と他者の差異共振シナジー相であるが、主体iは心、他者-iは身体と見てきたのである。つまり、心と身体とが、差異共振シナジー相では、即非様相にあるのである。おそらく正確に言うと、主体iは原心であり、他者-iは原身体であろう。これが、即非結合して心身態(原心身態)を形成しているのである。そして、これが、本来の精神である。精身と言ってもいいくらいだろう。とまれ、心身=精神から、連続的同一性化が発生して、心身二元論が生まれるのである。(宗教観念で言うと、連続的同一性が悪魔であろう。例えば、ゾロアスター教の光のアフラ・マズダは心身・精神であり、闇のアンリ・マンユ(アンラ・マンユ)が連続的同一性である。)
 この連続的同一性により心身二元論が発生し、この心は物質的心であり、身体も、当然、物質的身体である。つまり、根源の心身・精神が否定・排除・隠蔽されているのである。
 では、いったい、このとき、現象とは何なのであろうか。現象化を連続的同一性化と、これまで見たのであるが。現象化とは、同一性化と言えるだろう。イデアから、個体・個物(同一性)が発現するのだから。しかしながら、連続的同一性化と差異的同一性化があるのである。前者が物質的個体であり、後者が精神的個体である。そう、自然は、両者を産出すると言えよう。闇の個体と光の個体を産み出すと言えるだろう。−1と+1である。だから、自然は二重であると言えよう。物質的自然と精神的自然である。シェイクスピアの『リア王』で言えば、リア王の長女・次女ゴネリルとリーガンの自然と末娘コーディリアの自然である。これは一対であると言える。悪と善は一対である。暴力と調和、戦争と平和は一対であると言えるだろう。だから、この点では、ヘラクレイトスの対立と調和の一致の極性思考は正しいと言えよう。闇の自然があり、光の自然があるのである。私が先に美しいと言った、晴れた日の、海に近い川土手の木立のある家の光景であるが、その《光》は、後者であろう。つまり、精神的自然をそこに見いだしていることになるだろう。差異が共振している自然の風景なのである。そう、セザンヌの有名なリンゴの静物画も、差異共振シナジーを表現しているだろう。だから、至高美なのである。
 結局、自然は二面があるのであり、ジキルとハイドであると言えるだろう(もっと、細分化すれば、多重性である)。ユング/ヘッセのアブラクサス(善悪二重神)である。キリスト教は、悪を認めないようにしてきた。それは、善の欠如であると見ようとしたのである。
 また、近代合理主義は、連続的同一性・闇の自然に理性を見いだして、差異的同一性・光/精神の自然を否定してきたのである。つまり、物質的合理性のみを認めて、精神的合理性を排除してきたのである。唯物合理主義である。闇の合理主義、悪魔の合理主義である。
 この自然の二面性について、さらに精査しよう。同一性化は、連続的同一性化と差異的同一性があり、自然は、両者を発現したと言えるだろう。思うに、ここが、ジェンダー・性差と関係するのではないだろうか。連続的同一性化とは男性化であり、差異的同一性化とは女性化ではないだろうか。戦争と平和である。混乱を避ける為に、連続的同一性化を原雄化、差異的同一性化を原雌化と呼ぼう。つまり、自然は、この対を発現すると言えるだろう。これが、単性生殖や処女生殖で意味されていることではないだろうか。自然は、根源的に単性生殖であろう。そして、それが、対の同一性を形成すると言えるだろう。つまり、自然は、連続的同一性・原雄性と差異的同一性・原雌性の対性・極性を発生させるのであり、これが後に分化して、雄・男性と雌・女性になったのではないだろうか。しかし、根源は両極・対極性である。陰陽性である。そう、『老子』では玄牝である。神話で双子の神話や兄弟の神話(ロムスとレムノス、カインとアベル、山幸と海幸、等々)が多くあるのは、この極性の反映であろう。
 とまれ、太古においては、極性バランスがあったと考えられるのである。それが、神話では、女神の神話で表現されているものだろう(シュメール神話、クレタ神話、女媧・伏儀の神話、イザナミイザナギの神話、等々)。そう、闇と光のバランスが取れていたと考えられるのである。思うに、女性の方が、男性よりも、このバランスが取れていたと思われるのである。男性は、やはり、連続的同一性・闇・暴力・物質へ傾斜しているのであり、狩猟に向いていたであろう。そして、智慧・叡知は、女性のものであったであろう(魔女、巫女、等々)。つまり、ソフィア(智慧)は、女性形であるからである。
 しかし、人類史において、このバランスが崩れて、連続的同一性が特化される時代が来たのである。父権制である。また、一神教である。国家である。これをどう見るのかが、決定的ポイントである。つまり、極性バランスが崩れるという力学が発生したのである。思うに、これは、自然の二元化の徹底化であろう。連続的同一性と差異的同一性の極性から二項対立・二元論へと徹底化したと見るのが正しいだろう。分極化から分化である。即非から二元論へである。東洋から西洋へである。
 この二元論的徹底化であるが、この根因・起因は何なのだろうか。私はやはり、第二段階ないし第二回目の1/4回転を仮定したくなるのである。第一段階ないし第一回目の1/4回転で、零度の様相が発生するが、これが、差異共振シナジー様相を形成したと思うのである。そして、これが、プラスとマイナスの均衡を形成したと思うのである。つまり、陰陽性である。即非性である。しかし、第二段階・第二回目の1/4回転(i^2)で−1となるが、これが、連続的同一性の志向性を発生させたのではないだろうか。そして、これこそ、父権・一神教・国家化だと思えるのである。極性思考が破壊・解体されて、二項対立・二元論となったのである。
 この考えをさらに展開すると、第三段階・第三回目の1/4回転(i^3)が生起して、新たな零度が発生するだろう。これは、新たな差異共振シナジー様相の発生と言えるだろう。これは、父権制一神教・国家の崩壊であろう。そして、これは、新しい母権制多神教・共振政体(連合という言葉は語弊があるので使用しない)の発生であろう。
 このようにガウス平面での1/4回転力学を想定すると、うまく説明がつくと考えられるのである。
 では、このガウス平面(イデア・現象界)1/4回転論理で、近代主義とトランス・モダンを見るとどういうことになるだろうか。やはり、プロト・モダン、ルネサンスを考えなくてはならないだろう。これは、本来、新たな差異共振シナジーの時代の発現だと思うのである。だから、第三段階・第三回目の1/4回転による零度差異共振シナジーのエポックと考えられるのである。しかしながら、西欧ないし欧米において、連続的同一性化が強化・特化されてしまったのである。近代合理主義、近代的自我、唯物科学・技術・産業の発展である。この差異共振シナジーの歪曲・捩じ曲げをどう見たらいいのだろうか。思うに、これは、一種反動的進展と見るべきだと思うのである。差異の発動がルネサンスで起こった(正確に言うと、中世から個の志向性が欧州では生じていたのである。12世紀ルネサンスもあるのである。また、toxandoria氏がドゥンス・スコトゥスの個の哲学を述べている。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070102/p1 )のであるが、すぐに、キリスト教的な、父権的な反動が起こり、近代主義という反動が勃発したのだと思う。そう、近代主義とは、プロト・モダンの差異主義に対する連続的同一性志向による反動であると考えられるのである。反動であるからこそ、非合理・暴力・狂気的なのである。西欧・欧米の理不尽な帝国主義植民地主義、世界大戦等々を見よ(現代のイラク戦争が最たるものであるが)。また、だから、その帰結であると考えられる現代日本近代主義の連続的同一性自我の狂気があると言えるだろう。
 今日、多極化路線であるが、これは、実は、近代主義という反動の崩壊であり、否定されてきたプロト・モダンの発展を意味すると言えるのである。私はトランス・モダンと呼んでいるが、これは、プロト・モダンの真の進展の意味をもつと考えられるのである。そう、toxandoria氏が新たなユマニスムに言及されていたが、それは、正鵠を射ているだろう。ルネサンスが回帰しているのである。そして、現代、ポスト・反動近代/トランス・モダンの時代であるが、これは、ネオ・ルネサンスの時代とも言えるのであるが、結局、意味されているのは、連続的同一性志向性の解体・瓦解であるということであり、父権制一神教・国家の解体・崩壊であり、一切の近代主義の解体・崩壊・瓦解なのである。差異共振シナジー精神が顕在化したのである。不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論は、この歴史の進展・進化と平行した理論であると言えるのである。
 現代日本は、ここから見てわかるように、反動近代主義体制であり、大反動状態となっているのであり、亡国の危機なのである。差異共振シナジープラトニック・シナジイー理論路線へと至急に切り替える必要があるのである。
 差異共振シナジー様相化という世界進化、世界相転移の様態に、地球・宇宙/コスモスはあると言えるのだろう。英語では、様変わりをsea changeというが、これは、cosmos changeないしparadigm changeである。


p.s. 思うに、私が述べていることは、一見、ごちゃごちゃしているが、きわめて単純な、シンプルなことを言っていると思えるのである。そう、不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論は、とてもシンプルな理論だと思う。明日野氏のi*(-i)⇒+1ないしi*(-i)⇒|1|に極まると思うのである。
 言い換えると、本来、差異=異質なもの(おそらく、2つでいいように思う)が存在していて、それは、共立していた。そして、極性の変化によって、同一性へ傾斜する事態が生じる(自我化)。これによって、根源のバランスが崩れる。しかし、さらなる極性の変化によって、バランスを取り戻そうとする。しかし、反動が起こり、なかなか、バランスが元通りにならない。しかし、さらなる極性変化が起こり、反動態が解消されて、差異の共立が復帰する、ということだと思うのである。
 結局、すべては、易経に書かれていると思うのである。お釈迦様の掌中にあるのである。


toxandoria氏へのTB
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070102/p1