思考実験:差異共振事象から連続的同一性化への転換:エネルゲイアと

思考実験:差異共振事象から連続的同一性化への転換:エネルゲイアと連続的同一性化


テーマ:自己認識方程式(i)*(-i)⇒+1関係


差異共振様相から、心的主体性が身体的他者(これは、内外どちらでもいい)に対して、連続的同一性化する。このときのエネルゲイア(エネルギー)を問題にしたい。図式化しよう。

 メディア・イデア界:i*(-i) 又は、差異・即非・差異

           ↓

 現象界・自我界: i→(-i)=i*-(-i)⇒−1

である。メディア・イデア界のエネルゲイアがあるが、それは、初めは、潜在態デュナミスである。しかし、単に、デュナミスというよりは、均衡と見た方がいいかもしれない。つまり、*は、零度であり、プラスとマイナスの均衡点と考えることもできるだろう。
 とまれ、+iの力が-iに作用して、同一化すると考えられる。これは、一体化でもあるが、しかし、自我的同一化である。(これは、実は、ヘーゲルの理性である。連続的同一性としての理性である。だから、個物は同一性なのである。差異がまったく否定されているのである。近代合理主義の理性である。)この連続的同一性(連一性)のエネルゲイアを問題にしたいのである。
 これは、例えば、差異1→同一性→差異2で表記できよう。直観で考えると、これは、差異共振シナジーエネルゲイア、零度のエネルゲイアを、連続的同一性志向性の「力」に変容しているのである。そう、エネルゲイアから力への変容があるように思えるのである。エネルゲイアからフォースへの変容である。イデア・メディア界を元宇宙(コスモス)とするなら、連続的同一性のフォースは、全体的フォースであろう。つまり、全体的自我的同一性のフォースであるということである。それは、一神教のフォースと共通すると思われる。これは、人間においては、身体的他者を否定し、同一化するのである。
 連続的同一性のフォースによって、差異が連続的同一性化する。しかし、このとき、差異と差異が同一性化するときに、エネルギーが放出されると考えられるのである。思うに、同一性力が強い力で、発生するエネルギーが光ではないのか。つまり、エネルゲイアが強い力と光エネルギーに変換したということになるだろう。そして、差異と差異との連続化して、「素粒子」が発生・生成するのではないだろうか。
 以上は、心的主体性iの連続的同一性力である。しかし、他方、身体的他者の連続的同一性力が考えられるだろう。ここで、作業仮説として、ここで、弱い力が発生し、また、重力が生成するとしたい。結局、前者は強い力と光、後者は弱い力と重力を発生させるということである。両者の関係は、本来釣り合うであろうが、もし、傾斜があるなら、不均衡、非対称性があるだろう。つまり、前者が光の宇宙を形成し、後者が闇の宇宙を形成するとするなら、両者は不均衡となる。光に傾斜するなら、闇は少ないと言えよう。(これは、まったく思考実験・空想である。)
 さて、エネルゲイアとフォースの関係にもどろう。結局、心的主体の場合、エネルゲイア→フォース(強い力)+エネルギー(光)になったと作業仮説する。そして、差異と差異が結合して、同一性体(素粒子)が形成される。E=mc^2という公式は、この右辺を意味しているのであり、左辺のエネルゲイアを指してはいないのではないだろうか。より的確に図式化すると、

エネルゲイア素粒子(差異と差異の連続的同一性体)+フォース(強い力)+エネルギー(光)

である。そして、右辺がE=mc^2ではないのかということである。私は、エネルゲイアは、虚エネルギーであると考えているのであり、それを、実エネルギー(光、その他)とは異なると考えているのである。そう、以上から、エネルゲイアはやはり、虚次元の、イデア・メディア界の虚エネルギーと思われるのである。(さらに言うと、ダークエネルギーは、エネルゲイアを示唆しているのではないだろうか。)
 ここで、量子力学を考えて、量子が波動でもあるというのは、以上から考えると、本来、原量子は、差異共振エネルゲイアであるから、差異と差異との共振性が波動となると思われるのである。そして、当然、同時に、差異と差異との連続的同一性体であるから、粒子であるということではないだろうか。
 とまれ、量子力学量子論は、エネルゲイアの連続的同一性化のミクロ論を扱っていると言えよう。
 ここで、意識・認識について考えると、素粒子に相当するのが、自我であろう。自己はエネルゲイアであろう。あるいは、エネルゲイア⇒+1である。それは、一種核分裂ではないだろうか。素粒子を差異に分解すると言えるのではないだろうか。そして、分解ののち、一(いつ)であることを確認するのである。とても、禅的である。差異的同一性の確認である。
 ここで、さらに敷延すると、素粒子以前の存在として、当然、差異があることになる。あるいは、差異共振様相があるということである。メディア・イデアである。差異共振イデアである。ここは、トランス・モダン物理学の領域である。トランス量子力学である。