思考実験:ヴィジョンと身体的他者:即非・太極・相補イデア界の対称

思考実験:ヴィジョンと身体的他者:即非・太極・相補イデア界の対称性/非対称性


テーマ:プラトニック・シナジー理論


先に、夢のことに言及したが、そのヴィジョン・映像は、即非事象から生まれるのではないかと述べた。しかし、直感では、身体的他者-iが主導的なようにも思えるのである。これについて簡単に考察したい。  
 夢の映像は、見ている時は、現実のものであり、覚めてから、それが、夢だとわかるのである。それで、私は、Seeing is believing.見ることは信じること(百聞は一見に如かず)と考えたのである。これは、リアリティの問題でもある。目をつぶったとき、リアリティはどうなるのか。そのときは、聴覚が鋭くなり、それが、現実的感覚となるだろう。とまれ、何らかの外的投射が現実感を形成するように思える。視覚は、当然、視を投影するのである。この場は、問題提起なので、思いつくまま書いてみたい。 
 ここで、二つの光の問題があるだろう。内的光と外的光である。内的光は、心的主体的視である。これは、連続的同一性志向性である。この内的光が、外的光と合一して、映像が浮かぶのではないのか。
 問題は、外的光である。内的光iは、連続的同一性という志向性を、外的光-iに到達させる。本来、イデア・メディア界では、内的光と外的光が即非様相である。ここで、確認すると、イデア・メディア界で、外的光という用語はふさわしくないと思われるだろう。おそらく、用語を、主体的光と他者的光とすべきだろう。あるいは、心的光と身体的光と。であるから、混乱を避けるため、用語を訂正して、主体的光ないし心的光=iと、他者的光ないし身体的光-iに分けて考察したい。
 では、主体的光が、連続的同一性の志向性によって、他者的光に到達するとしよう。本来、主体的光(心的光)と他者的光(身体的光)は即非様相で、イデア・メディア界を形成しているが、連続的同一性のエネルギーの発動によって、即非様相が破れて、現象化が為されると考えたい。この連続的同一性エネルギーをプラス・エネルギーとしよう。これは、回転エネルギーと考えられ、虚軸的垂直から実軸的水平へと「力」ないし差異が移動しているのである。虚軸にiを掛けると、i*i⇒−1、(-i)*i⇒+1となる。−1と+1で、実軸を形成すると考えよう。この1/4回転が現象化と考えられる(仮定)。思うに、この ±1とは、対称性を意味するように思える。自然界の対称性(シンメトリー)である。しかし、同時に、ここで、非対称性もなくてはならない。それをどう考えたらいいのか。
 思うに、これは、簡単な事柄ではないだろうか。根源のイデア・メディア界は、即非ゼロ度エネルゲイアをもつ。即非とは、この場合、対極性と考えていいだろう。揺らぎを見ていいだろう。あるいは、相補性を見ていいだろう。そう、分かり易い例として、易経を考えればいいだろう。陰陽である。そこでは、2^6=64通りの卦の順列があるのである。つまり、64通りの陰陽様態があるということである。これを即非事象の様態と見ることができるのではないだろうか。言い換えると、64通りの傾斜をもつと言えよう。だから、この64種類の様態が非対称性の起因と見ることができるのではないだろうか。簡単に言えば、陰陽傾斜が対象性の破れをもたらし、非対称性を形成するということではないのか。
 この太極イデア界(イデア・メディア界)の生成変化・生成変容から、多様な現象が発現すると言えるのではないだろうか。ここにあるのは、ヘラクレイトス的な万物流転・生成流転(パンタ・レイ)の現象である。(思えば、ヘラクレイトスの哲学は、対極性の哲学であり、エネルゲイア的哲学であった。火が万物の根源である。そして、それをロゴスと考えていた。すると、ヘラクレイトスのロゴスとは、対極性のロゴスであり、即非的ロゴスと言えるのではないだろうか。)
 結局、即非イデア界の対極性があり、それが傾斜となり、多様な現象をもたらすということになる。言い換えると、太極性(対極性)が、根源的対称性であり、また、原非対称性の原理ということになるのではないか。縮約して言えば、即非・太極・イデア界は、根源的対称性であり、且つ、根源的非対称性である、と言えないか。つまり、対称性・即・非対称性ではないのか。つまり、端的に言えば、即非・太極・相補性とは、対称性・即非・非対称性ではないのか。つまり、根源的一(いつ)があるのである。即非的一があるということである。即非・太極・相補性のイデア界は、万物・万象の正に原型・プロトタイプと言えよう。現象の形・形態は既に、ここにあるのだ。人間の心身のイデアはそこにあるのだ。桜や朝顔イデアはそこにあるのだ。
 ここで、ゲーテが原植物と言ったことを想起する。それは、「精神」であった。そして、ルドルフ・シュタイナーがここから、精神(霊)科学を生み出したのであるが。即非界を精神と呼ぶなら、確かに、ここには、精神科学がありうると言えよう。しかし、イデア精神は、現象という衣服をまとうのである。だから、精神現象科学ないし精神物質科学と言うほうが的確であろう。
 今の思考実験はここで留まるが、次に、この即非・太極・相補性のイデア界/現象界の発現させる空間次元はどのようなものが考えたい。予見を言えば、陰陽で上下次元、そして、それぞれ、三次元あるとして、四次元となるだろう。四次元時空間である。あるいは、1+3+3で七次元かもしれない。
 

p.s. プラス・エネルギーを説いたが、では、マイナス・エネルギーとは何だろうか。それは、脱現象化のエネルギー、即非志向性エネルギーだろう。自己認識エネルギーとも言えよう。では、現象的には何だろうか。ダークエネルギーなのだろうか。後で検討。


p.p.s. 以上の易経を適用した理論(思考実験)であるが、それは、結局、占いを肯定することになるだろう。予め、原事象があることになるからである。しかし、偶然はどうなるのか。思うに、現象界においては、確率が作用するように思うのである。後で再考したい。