連続的同一性化、又は、現象化について:連続的同一性(モネルゲイア

即非界は、虚数の世界・虚次元である。即ち、i*(-i)の世界であり、これが、連続的同一性(以下、連一性)化して、現象化が生起するとこれまで考えてきた。しかしながら、連一性とは逆に、差異化も生起すると考えている。即ち、整理すると、現象化とは、連続的同一性化に傾斜しているのであり、その後、差異的同一性(以下、差一性)化へと反転すると考えてきたのである。とりわけ、この傾斜は、人間において顕著であると考えている。とまれ、現象化において、初めに、連一性化があり、次に、差一性化が生起する。そして、差異化とは、根源界の即非界へと回帰する意味をもっていると考えている。
 今の問題点を整理すると、即非界ないしイデア・メディア界のエネルゲイアと現象界のエネルギーの関係である。換言すると、時空間の発生の問題である。あるいは、光の問題である。
 エネルゲイアとエネルギーの問題を検討すると、イデア・メディア界には、エネルゲイアがあると考えているが、それは、i*(-i)が内包するものである。そして、連一性化によって、iないし-iが否定されて、⇒−1の様態となるのである。しかしながら、《自然》は、差異化を継起させるのである。つまり、連一性化とは別に、差一性化が生起するのである。ここには、差異共振シナジーエネルゲイアがあると考えられるのである。つまり、現象化とは、総体的に見ると、連一性化と差一性化との併存であると言えよう、傾斜があるとは言え。言い換えると、−1と+1との共存・共立である。具象的に言えば、戦争と平和、自我と自己との共存・共立である。(既述したことだが、人間の場合は、特に、連一性化、−1に傾斜しているのであり、これが、西欧近代主義を生んだのである。)
 結局、現象化=連一性/差一性化である。イデア・メディア界のエネルゲイアが、この現象化のエネルギーということになる。この問題の扱うために、ポイントを整理すると、物理学、とりわけ、量子力学の動態学に沿って解明するのか、あるいは、エネルゲイア中心主義で考えるのか、の二点の方向性があると言えよう。
 即ち、前者では、ポテンシャル・エネルギー(デュナミス)がダイナミック・エネルギー(エネルゲイア)に変換するという考え方である。つまり、イデア・メディア界のエネルゲイアが、物理学のエネルギーに変換するということである。つまり、虚次元のエネルゲイアが実次元のエネルギーに変換するということである。そう、虚次元エネルゲイア⇒実次元エネルギーへの変換ということは、量子力学路線、エネルゲイア路線の両方に共通すると言えるから、この点はクリアしたことになる。
 真の問題は、連一性のエネルゲイアと、連一性によって放出されるエネルギーとの関係である。これが、真に、量子力学路線か、エネルゲイア路線かの、分岐点である。ここでも直観で考えよう。連一性そして差一性は、即自的エネルゲイアによって生起すると考えられる。つまり、即非エネルゲイアが連一性/差一性のエネルゲイアである。そして、このとき、放出されるエネルギーは何なのだろうか。図式で考えると、差異1→差異2という連一性化(→が連一性志向性である)において、差異1=差異2という連一性が発生する。つまり、(差異1→差異2)⇒(差異1=差異2)+エネルギーである。つまり、端的に言えば、連一性エネルゲイアは、連一性とエネルギーの両者を発現させるということである。連一性をとりあえず、「物質」としよう。だから、連一性エネルゲイア⇒「物質」+エネルギーである。
 では、これを光の問題と関係させるとどうなるだろうか。E=mc^2を敷延して考えると、連一性エネルゲイア=Eとすると、E⇒m+mc^2 ではないだろうか。つまり、エネルゲイア⇒物質+エネルギーである。これは、連一性化である。では、差一性化はどうなのだろうか。それは、連一性が差一性へと変換することである。それは、差一性エネルゲイアの事象であると言えよう。それは、差異1*差異2⇒+1である。問題は、ここで、エネルギーが放出されているのかどうかである。例えば、連一性化を核融合とすると、差一性化とは、物質とエネルギーが、いわば、再統一して、エネルゲイアが発生することではないのか。つまり、物質ないし現象の内部がエネルゲイア化することではないのか。つまり、差異共振シナジーというエネルゲイアが内部発生することではないのか。ここで、明快にするために、これをシネルゲイアと呼ぼう。だから、差一性エネルゲイアとはシネルゲイアである。物質ないし現象のもつ第二(ないし第三)の動態である。ここで、用語を整理するため、連一性エネルゲイアを単一エネルゲイアということで、モネルゲイア(mono+energeia= moenergeia)としよう。だから、現象化とは、即非界(イデア・メディア界)のエネルゲイアの変換として、モネルゲイアが先行的に発生し、次にシネルゲイアが発生することを意味するのではないのか。簡単にすると、エネルゲイア⇒モネルゲイア/シネルゲイアである。
 そのように考えると、現状の物理学のエネルギー論は、モネルゲイアを中心に扱っているのであり、シネルゲイアをほぼ看過しているのではないだろうか。ここで、直感で言うと、モネルゲイアが光に関わるエネルギーであり、シネルゲイアがいわゆるダークエネルギーに関わるのではないだろうか。しかし、ダークエネルギーを、実エネルギーと考える限り、真相・本体を捉えられないのではないだろうか。なぜなら、シネルゲイアは、即非エネルゲイアの開示(「アポカリプス」?)であるからである。即ち、虚次元・虚数の動態であるからである。喩えて言えば、実次元が表なら、虚次元は裏である。そして、裏は、超越なのである。内在的超越性・超越論性なのである。つまり、イデア・メディア界(簡単に、イデア界)を指示・提示しているのである。
 思うに、現代、ポスト・ポスト・モダン=トランス・モダンの時代にあって、シネルゲイア=イデアエネルゲイアが活性化していると考えられるのである。しかし、近代主義・モダンの大反動・超反動によって、そのエネルゲイアが塞き止められているのである。日本の小泉/安倍路線は、この路線である。モダンの全体主義ファシズムによって、トランス・モダン・シネルゲイアが、塞き止められ、窒息させられ、圧殺されようとしているのである。これは、日本の亡国化である。トランス・モダン・シネルゲイア=差異共振シナジーエネルゲイアは、国家主義を超えて、国際共同体へと向かい、また、社会を個的共振共同体へと向わせるものである。そして、経済も当然、差異共振シナジー・エコノミーを志向するものへと変容させずにいないのである。唯物的資本主義から、シネルゲイア的差異共振価値経済へと転換することになるのである。今や、人類史的な大転換・相転移の時代と言えるのである。ポスト西洋文明の時代なのである。差異共振シナジーエネルゲイアが発動している時代であり、これに反動する国家は滅亡するのである。アメリカは、今や、ポスト・ブッシュで、トランス・モダンへと転換しつつあるが、日本は亡国の凶相を呈しているのである。

p.s. 宗教のシネルゲイア化は、共神教となるのではないだろうか。諸宗教の共振化である。仏教、キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教ユダヤ教神道アニミズムシャーマニズム、等々が共振シナジー化するはずである。語呂を踏むが、共神教としての新世界宗教が発生するだろう。ここでは、一神教多神教無神論的宗教(仏教)も共振シナジー化して、新世界宗教となるだろう。新神仏習合である。
 
p.p.s. ベネズエラチャベスの「社会主義」路線とは、近代主義的国家統制経済全体主義ファシズムではなく、真相は、シネルゲイア経済であろう。