感覚と現象とは何か:PS理論と仏教の唯心論

感覚と現象とは何か:PS理論と仏教の唯心論


テーマ:プラトニック・シナジー理論


差異即非事相は内界であり、イデア界であり、それは、《光》のヴィジョンである。では、これが、連続的同一性化ないし現象化するとは、どういうことなのだろうか。

 内的他者は、身体である。それに対して、外的他者は、いわば、延長である。この違いをどう見るのか。そう、ここには、単に感覚の問題だけでなく、空間や時間の問題が入っているのである。カント哲学の問題である。

 自己は、内的他者とは、本来、即非様相にあり、内界を形成している。これは、イデア界的光のヴィジョンの世界である。

 それに対して、連続的同一性(連一性)化ないし現象化するとき、自己は、内的他者=内的自己を否定して、外的他者を同一化するのである。そう、問題は、外的他者とは何か、である。

 外的他者とは、フッサールノエマに相当しよう。問題は、これが、何であるのかである。あるいは、外界、外部とは何か、である。プラトンの有名な洞窟の比喩からすると、光源は、眼前ではなくて、観測者の手前にある。これは、内部・内界にあるということであろう。では、それに倣って、外部・外界の光は、内部・内界=イデア界から発していると考えていいのか。

 ここで、問題をより根源にもどって考えよう。即ち、外光、陽光とは何かである。夢でわかるように、明らかに、「内光」、「陰光」があるのである。そして、「内光」・「陰光」は、差異即非事相である。即ち、i*(-i)である。しかしながら、自己以外の他者についても考えると、当然、「内光」・「陰光」が考えられるだろう。即ち、鳥の場合も、「内光」・「陰光」があるし、その他動物では同様だろう。おそらく植物にもあるのではないだろうか。

 では、太陽自体はどうであろうか。そう、太陽の「内光」・「陰光」があるのではないだろうか。そして、それが、外光・陽光の本体と言えよう。

 そう、今、思ったのが、イデア界的元宇宙である。ここにおいては、宇宙全体のイデアが、いわば、犇(ひし)めいていると言えよう。わかりやすく、図式化すれば、

イデア界:差異1*差異2*差異3*差異4*差異5*・・・*差異n

である。例えば、「わたし」の差異即非性=内界を、差異p*差異qとしよう。そして、太陽の差異即非性=内界を、差異x*差異yとしよう。だから、イデア界においては、「私」と太陽は、共振シナジー化していると言えるだろう。簡明にするため、「わたし」を差異α、太陽を差異βと表記すると、差異αと差異β は共振シナジー化して、《光》で相互通信していることになるのではないだろか。そうすると、「わたし」の「内光」は、太陽の内光と一如(いちにょ)である。
 
 では、このとき、外光・陽光とはどういうことなのだろうか。「わたし」差異αが太陽・差異βを見るということではないのか。ここでは、連続的同一性(連一性)を考えなくてはならないだろう。即ち、

「わたし」差異α→太陽・差異β⇒-1

となると思われるが、このとき、差異共振シナジーの元光ではなくて、外光・陽光が感覚・知覚されると思われるのである。つまり、外光・陽光とは、太陽の「内光」・「陰光」あるいは、イデア界の元光ではなくて、連続的同一性化された「光」であるということになる。即ち、現象・物質化された「光」ではないのか。これが、E=mc^2の意味ではないだろうか。

 整理すると、外的他者とは、内界・イデア界において、差異共振・即非様相の連続的同一性化によって発生するものであるということである。つまり、連続的同一性志向性によって発生する外的対象であるということになるだろう。だから、ノエマとは、差異共振シナジー事相の連一性態であり、本来、連一性態=現象は、内界の事象ではないのか。志向性であるから、当然、内界の事象である。ならば、どうして、外界が発生するのか。延長・空間が発生するのか。

 ここで思考実験すると、差異共振シナジー事相のイデア界は、零度である。しかし、これが、連一性化すると、零度が無くなり、-1ないし絶対値1となるのではないだろうか。あるいは、±1と。この-1ないし絶対値1が、延長・空間ではないのか。即ち、イデア界の元光が、現象の光に転化するのであるが、それは、零度の元光から、-1ないし絶対値1の光に転化したことではないのか。そして、この-1ないし絶対値1が光速度一定を意味するのではないだろうか。そして、これは、当然、時空間の-1ないし絶対値1ではないのか。

 簡単に言えば、零度から実数-1ないし絶対値1になったということではないのか。いわば、無限大が-1ないし絶対値1になったということである。これは、i*-(-i)⇒-1で表記できるのかもしれない。結局、-1ないし|1|が時空現象と関係するのだろう。そして、カントの超越論的形式に関係する。だから、時空4次元は、ここを意味するのだろう。

 とまれ、-1ないし|1|が外界・延長・時空間を意味しよう。この問題は、とりあえず、ここで留めて、仏教の唯心論に少し言及しよう。以上から、唯心論は正しいと言えると思う。外界・延長・時空間は、イデア界の連一性の像であるからである。そう、内界事象を、いわば、投影して、外界事象としているのだ。イデア界の連一性像が現象であり、それは、本来、イデア界内部の事象ではないだろうか。だから、神秘主義は、正しいと思う。現象とは、イデア界の内部の連一性像の世界に過ぎないと思われるのである。だから、目に見える事象は、イデア界内部の事象と言うことが可能であると思う。仏教の唯心論は正しいと思う。

 後で、丁寧に再検討したい。