波動と粒子:その2:ic*(-ic)という即非対子(イデア対子)と元相補

先に、イデア界の様相が波動で、現象界のそれが粒子と言ったが、それは、端的には間違いなので修正したい。

 干渉縞の実験から、素粒子が波動であることは、周知のことである。つまり、現象においても、波動であるということである。では、私が述べたイデア界での波動性はどういう風に考えたらいいだろうか。

 ここでも直観であるが、イデア界でのイデア波動(思うに、イデア子を考えてもいいのではないだろうか)が、現象化して、量子波動となると思われるのである。

 すなわち、イデア界でのイデア波動(イデア子波動)と、現象界での量子波動があるということである。しかし、これまで、量子とは、イデア/現象境界の事相であると考えてきたので、量子波動を単に現象界の波動と見るのは正しくないと言えよう。

 つまり、端的に言えば、量子波動とは、イデア波動(イデア子波動)の影であるということである。ならば、イデア波動(イデア子波動)と粒子の関係はどうなるのだろうか。

 粒子もイデアイデア子)の影ではないのか。

 イデアないしイデア子とは、(ic)*(-ic)であると言えよう。これは、即非子(対極子、太極子、双極子)と呼べるものであろう。

 これは虚数エネルギーであり、ポテンシャル・エネルギー(デュナミス)である。ここには、hν⇒Eがあるだろう。

 つまり、この即非子は、虚数波動であり、これが、イデア/現象境界、つまり、量子論的空間においては、量子波動として検出されるということではないだろうか。

 電子にしろ、光子にしろ、それは、量子空間(=メディア空間)における波動である。そう、問題は、現象空間である。現象空間とは、イデア空間に浸透されているのではあるが、それは、メディア空間を介してである。そして、メディア空間が量子空間なのである。(相対性理論をどう見るのか。それも、メディア空間の理論であると言えると思う。)つまり、素粒子が波動でもあるというのは、イデア波動の影ということになる。

 では、問題は、イデア波動と粒子との関係である。あるいは、イデア子(即非子)と粒子の関係である。あるいは、イデア波動とイデア子(即非子)の関係である。

 イデア波動とは、イデア子=即非子の波動である。それは、即非共振シナジーの波動である。m(ic)(-ic)=hν⇒E とすれば、ν=(ic)(-ic)・m/h である。これが、イデア子=即非子の波動の振動数である。そして、イデア子の粒子性であるが、それは、Kaisetsu氏のm*{(+ic)*(- ic)}⇒+1*Eにおける右辺の+1に表現されているのではないだろうか。

 では、問題は、icや-icは何であるのかである。これは、イデア子(即非子)の構成要素である。思うに、即非対子(イデア対子)とでも呼べるだろう。即非対子がイデア子=即非子を構成していることになる。

 即非対子は、粒子なのだろうか。粒子を物質とするなら、それは、粒子ではない。それは、原粒子ないし前粒子である。そう、即非対子は、対極性を形成しているから、正に、相補性を形成していると言えよう。確かに、即非対子ないし即非子(イデア子)において、「波動」と「粒子」の相補性が形成されていると言えよう。

 結局、粒子とは何かの問題になるだろう。即非対子においては、「粒子」性と「波動」性は不可分一体である。「粒子」即「波動」である。これが、思うに、量子論における相補性とは異なる点ではないかと思う。量子論の相補性とは、イデア/現象境界、すなわち、メディア界における相補性であるからである。即非対子の相補性は、イデア界における相補性なのである。これを、元相補性と呼ぶことができよう。

 今は、ここで留めたい。