物質とイデア:物質をイデアから記述する:メディア・ポイントにおけ

物質とイデア:物質をイデアから記述する:メディア・ポイントにおける虚数軸事相と実数軸事相の複相性


テーマ:プラトニック・シナジー理論


文系にもわかる量子論 (新書) 森田 正人 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%87%E7%B3%BB%E3%81%AB%E3%82%82%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E9%87%8F%E5%AD%90%E8%AB%96-%E6%A3%AE%E7%94%B0-%E6%AD%A3%E4%BA%BA/dp/4061496190/sr=8-1/qid=1172574051/ref=sr_1_1/250-8960880-5103431?ie=UTF8&s=books
を2/3ほど読んだが、簡潔に説明されている入門書であるが、教科書風で、淡々として、やや無機的な記述であり、喚起されるものが、残念ながら乏しい。素人の感想は、量子論は、複雑になり過ぎている、ということである。素粒子論になると、なにか、複雑怪奇の印象である。もっと、理論的に簡潔な視点はないのだろうか、などと思ってしまう。【個人的には、観測問題を扱った『量子力学入門』(並木美喜雄著)が、スリリングで、また、明快で、入門書としては、優れていると思う。】

 とまれ、ここでは、本件について、簡単にスケッチしてみたい。というか、きままなエッセイである。

 これまでの考え方では、イデアがi*(-i)ないしic*(-ic)等として、差異即非様相にあるというものである。そして、これが、メディア・ポイントを介して、⇒+1ないし⇒±1に転化するのが、現象化であると考えてきた。

 そして、物質とは、この現象化における-1ではないかと考えてきた。なぜなら、+1は、精神であると考えられるのである。

 ここまでが、これまでの私見(作業仮説)である。

 問題は、エネルギーである。イデア・エネルギーは、虚数エネルギーであると考えている。すなわち、m(ic)*(-ic)である。今、思いついたのであるが、(im^1/2)(ic)*(-im^1/2)(-ic)⇒+1mc^2としたらどうだろうか。より簡潔にすれば、(icm^1/2)*(- icm^1/2)⇒+1mc^2である。左辺の前項が元光の陽で、後項が元光の陰ではないのか。そして、右辺が、光のエネルギーである。

 元光の陽を元陽として、元光の陰を元陰としよう。すると、元光=元陽*元陰⇒光となる。元陽の元質量がim^1/2で、元陰の元質量が-im^1/2なのだろうか。

 思うに、元陽と元陰との即非・太極的元波動が、⇒hνとなるのではないだろうか。すると、元陽と元陰は、元粒子、元素粒子ではないだろうか。(そう、虚陽と虚陰で虚光を形成しているとも言えよう。)

 量子論素粒子論は、どうも、この基本的原理を捉えていないのではないだろうか。

 とまれ、元陽*元陰⇒+1・光としよう。では、物質は、-1・光となるだろう。すなわち、(icm^1/2)*-(-icm^1/2)⇒-1・mc^2 又は、-(icm^1/2)*(-icm^1/2)⇒-1・mc^2 である。

 +1・光と-1・光とは、何だろうか。共振的光と連一的光ではないか。知覚的に見てみよう。肉眼で朝の陽光を知覚するとしよう。これは、朝の爽やかさをともない、晴れ晴れしい光である。これは、主観では、共振的光である。

 では、連一的光とは何か、知覚的に。-1・光とは何か。思うに、光は、光である。だから、-1の意味がここでは、真相的には問題なのだろう。それは、即ち、物質として、光を見るということだと思うのである。光は、本来、イデア的には、超越的共振シナジー様相である。それが共振的現象となるのが、+1・光であろう。この共振的現象としての光を物質と見るのが、-1・光ではないのか。

 エネルギーをmc^2と見るのは、物質としての光のエネルギーのように思えるのである。共振的光現象とは、超越的身体であり、(icm^1/2)*(-icm^1/2)⇒+1mc^2 の左辺を内包(如来蔵)していると思うのである。そう、光において、イデア界がある意味で剥き出しになっているように思えるのである。(参考:相対性理論

 以上のように仮定すると、物質とは、連続的同一性化した光のエネルギーであり、超越的身体性を喪失しているのである。しかし、現象としては、本来、個体は、超越的共振身体性を帯びていると思うのである。

 ならば、現象的個体には、イデア・エネルギーが内包されているはずである。それが(icm^1/2)*(-icm^1/2)⇒+1mc^2の左辺であろう。即非・太極的虚数エネルギーである。

 思うに、量子論は、このイデア・エネルギーを看過していると思うのである。ただ、mc^2の連続的同一性の物質エネルギーを計算しているだけのように思えるのである。

 dark energyをhidden energyと読めば、このイデア・エネルギーがdark energyではないだろうか。dark matterは、+1mc^2自体ではないだろうか。

 ついでに言えば、D.H.ロレンスのdark sungやunknown Godは、このイデア・エネルギーの根元であるイデア界を指しているのではないだろうか。カトリック信仰における黒い聖母の「黒い」もdarkにとれば、やはり、イデア界を指すであろう。あまりにも輝かしくて、肉眼では眩んで(暗んで)、「黒い」となるのではないだろうか。東方キリスト教神学者グレゴリオス・パラマスは、そのように言っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%82%B9
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%81%A8%E5%85%89%E3%81%AE%E7%A5%9E%E5%AD%A6%E2%80%95%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%82%B9%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E5%A4%A7%E6%A3%AE-%E6%AD%A3%E6%A8%B9/dp/4423171228/sr=8-1/qid=1172582592/ref=sr_1_1/250-8960880-5103431?ie=UTF8&s=books

 どうも、物質形式は、絶対値mc^2(|mc^2|)にあるように思えるのである。この物質形式に、量子論や現代物理学は束縛されているように思えるのである。⇒+1・mc^2とすることで、途轍も無い地平が出現すると考えられるのである。端的に、超越界の地平である。ここで、文理融合・統一が実現するのである。

 ところで、素粒子とは、何だろうか。素人目には、ひどく煩雑な構造をもっていると思えるのである。クォークレプトン、等々。四つの力の考え方も、すっきりとはしていないと思う。

 思うに、虚数軸(イデア界)での極性があり、実数軸での極性があり、それらが、二値と二値で、四元となるように思えるのである。ここでは、メディア・ポイントが、虚数的極性と実数的極性の要(かなめ)である。これを、量子論は、区別せずに、混淆しているのではないだろうか。

 有り体に言えば、強い力と弱い力は、虚数軸の極性であり、光と重力は、実数軸の極性ではないのか。

 素粒子であるが、今日のように多種多様になるのは、以上述べたような、異なるレベルの事相を混淆しているからではないのか。
http://belle.kek.jp/~uehara/pdic/item.html#part
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E7%B2%92%E5%AD%90

http://www.kek.jp/kids/jiten/particle/particle.html#part

 虚数軸/イデア界の事相があり、また、メディア・ポイントを介しての、実数軸/現象界の事相があるのである。これらは、区別されなくてはならないだろう。

 ここで、作業仮説的に言えば、素粒子は、主に、虚数軸/イデア界レベルの事相であり、原子や分子は、主に、実数軸/現象界レベルの問題ではないだろうか。

 例えば、原子ではなく、原子核の問題は、虚数軸レベルの問題で、陽子と中性子と中間子の関係であるが、中間子がメディア・ポイントとなるのではないだろうか。そして、陽子は、例えば、m^1/2icであり、中性子は-m^1/2icに関係するのではないのか。つまり、虚数軸/イデア界の即非事相が、メディア・ポイントを介して、現象事相と重なるのであり、そのとき、即非事相レベルが強ければ、素粒子様相が発生し、現象事相が強ければ、原子・分子事相が発生するのではないだろうか。

 この、メディア・ポイントを介しての、虚数軸事相と実数軸事相との、重なりであるが、新たに明確に命名する必要があるだろう。とりあえず、重相化とでもしておこうか。あるいは、複相化である。そう、複相化としよう。

 だから、メディア・ポイントM・Pを介して、虚数軸事相と実数軸事相との複相化が形成されて、そのとき、物質的観測・計測では、両者が混淆されて、あのように複雑な素粒子様態が発現するのではないのだろうか。

 おそらく、クォークレプトンにしろ、主要な本体(本相・実体・実相)は、虚数軸/イデア界の即非事相の極性を示唆しているのではないだろうか。基本粒子ということであるが、そうではなくて、基本イデアとして、虚数軸/イデア界の差異即非極性事相を見るべきだと思われるのである。
 
 端的に言えば、元クォークはm^1/2icであり、元レプトンは、-m^1/2icではないだろうか。元陽と元陰が元素粒子対ではないのか。

 思うに、量子論は、PS理論から、見直されるべきではないだろうか。唯物論が超克されて、イデア論から物質・素粒子を位置づけるべきだと思うのである。

 とまれ、以上のように、メディア・ポイントM・Pを介して、2つのレベル、虚数軸/イデア界(超越界)と実数軸/現象界が複相化される事相・事象を把捉・認識することが出発点になると考えられるのである。


参考:
http://www.ryoushi-rikigaku.com/
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CE%CC%BB%D2%CE%CF%B3%D8
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E7%B2%92%E5%AD%90
http://homepage2.nifty.com/eman/quantum/contents.html
http://www.shokabo.co.jp/mybooks/ISBN4-7853-8776-9.htm