スピノザとライプニッツ:能動的観念とモナド的超越性

スピノザライプニッツ:能動的観念とモナド的超越性


テーマ:哲学


後で、両者の哲学について検討したいが、今、簡単に触れよう。

両者同時代人(17世紀)であり、知遇もあった。両者、デカルト哲学から影響を受けている。

両者の哲学の共通点は、内在的超越の方法であろう。スピノザは、能動的観念の方法を発見し、ライプニッツは、モナドや精神が、超越性=神と内在的に結びついていることを論じている。

思うに、スピノザの能動的観念(私は、これは、全哲学における最高の理論の一つだと考えている)は、PS理論から見ると、差異共振シナジー・エネルギー理論である。だから、スピノザも、PS理論の先駆者であると言えよう。

そして、ライプニッツモナド理論や精神の理論は、PS理論から見ると、やはり、特異性=差異共振シナジー性を指していると思える。大乗仏教で言うと、如来蔵に当たるものと考えられる。

両者の違いは、心と身体の次元と捉え方の違いにあるだろう。スピノザは、よく知られたように、心身平行論である。心と身体が属性として、並存している。しかるに、ライプニッツの場合は、精神の方が、身体よりも優位にあるのである。

両者一致させることはできるだろう。元知・即非・元身体とし、また、現象化において、知と身体が分化する。スピノザの身体は、元身体に近いのである。また、ライプニッツの身体は、現象的身体であると考えられるのである。

つまり、スピノザは、メディア・ポイントMPにおいて、差異を共振させて、観念形成を行なうのである(能動的観念の方法)。これは、一見、現象的に見えるが、単にそうではなく、MPにおいて、i*(-i)⇒+1となるように観念創造を行なっているのである。⇒-1を超えて、⇒+1となる観念創造を行なっているのである。だから、このとき、精神(心身)において、イデア界的参入していると考えられるのである。

それに対して、ライプニッツモナドないし精神とは、スピノザの心身平行性に相当すると考えられるのである。先に述べたが、スピノザの哲学には、実際、第三の要素があるのであり、それが、心身共振性であり、それが、メディア・ポイントにおいて、作用するのであり、この心身共振性が、ライプニッツモナドや精神と連なると考えられるのである。

参考:

バールーフ・デ・スピノザ
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スピノザ
スピノザ

バールーフ・デ・スピノザエスピノーザ)(Baruch De Spinoza, 1632年 11月24日 - 1677年 2月21日 )はオランダ の哲学者 、神学者ヘブライ語 名は「祝福された」の意。一般には、そのラテン語ベネディクトゥススピノザ (Benedictus De Spinoza) で知られる。デカルトライプニッツ と並ぶ合理主義哲学 者として知られるが、その思想には単なる合理主義にとどまらないものがある。自然汎神論など独特な思想の持ち主である彼は、アインシュタインゲーテなど後の多くの知識人に影響を与えた。

生涯

アムステルダムユダヤ人 の家庭に生まれる。両親はポルトガル からオランダ へ移住してきたセファルディム 。幼少の頃より学問の才能を示し、ラビ となる訓練を受けたが、家業を手伝うために高等教育は受けなかった。

伝統から自由な宗教 観を持ち、そのため1656年 にアムステルダムユダヤ人共同体から破門・追放される。追放後はハーグ に移住し、転居を繰り返しながら執筆生活を行う。1662年 にはボイル と硝石 に関して論争した。

1664年 にオランダ共和派の有力者、ヤン・デ・ウィット と親交を結ぶ。この交際はスピノザの政治関係の著作執筆に繋がっていく。この前後から代表作『エチカ』の執筆は進められていたが、オランダの政治情勢の変化などに対応して『神学・政治論』の執筆を優先させることとなった。1670年 に匿名で『神学・政治論』を出版した。しかし、1672年 にウィットが虐殺され(野蛮の極致ultimi barbarorumとスピノザは形容した)、この折りには、スピノザは生涯最大の動揺を示したという。

1673年 にプファルツ選帝侯からハイデルベルク大学 教授に招聘されるが、思索の自由が却って脅かされることを恐れたスピノザは、これを辞退した。こうした高い評価の一方で、1674年 には『神学・政治論』が禁書となる。翌1675年 に『エチカ』を完成させたが、出版を断念した。また、その翌年にはライプニッツ の訪問を受けたが、この二人の大哲学者は互いの思想を理解しあうには至らなかった。肺の病(肺病 や珪肺症などの説がある)を患っていたため、その翌年スヘーフェニンヘ (ハーグ近く)で44歳の短い生涯を終えた。

なお、ハーグ移住後の生計は貴族の友人らから提供された年金による。レンズ 磨きによって生計を立てたという伝承は、主に敵対者から流された誤伝によるものである、と推測される。とはいえ、この伝承は哲学者たちによって清貧な精神として現代でも敬意を払われ続けており、諸々の解説書でも敢えて疑うことなく記されてある。また、スピノザがレンズ磨きの技術を身に付けていたこと自体は事実で、それは生計のためではなく学術的な探求心によるものだと考えられている。

生前に出版された著作は、1663年 の『デカルトの哲学原理 』と匿名で出版された1670年 の『神学・政治論 』(Tractus Theologico-Politicus)だけである。『人間知性改善論 』、『国家論 』、『エチカ 』その他は『ヘブライ語文法綱要』などとともに、没後に遺稿集として出版された。これは部分的にスピノザ自身が出版を見合わせたためである。

[編集 ] 思想

[編集 ] 哲学史上の意義

スピノザ哲学史上の先駆者は、懐疑の果てに「我思う故に我あり(cogito ergo sum)」と語ったデカルトである。これをスピノザは「我は思惟しつつ存在する(Ego sum cogitans.)」と解釈している。その示すところは、思惟する私が存在するという自己意識の直覚である。懐疑において求められた確実性が見出されるのは、この直覚においてである。

その思想は初期の論考から晩年の大作『エチカ 』までほぼ一貫し、神即自然 (deus sive natura) の概念に代表される非人格的な神概念と、伝統的な自由意志の概念を退ける徹底した決定論である。この考えはキリスト教 神学者からも非難され、スピノザ無神論 者として攻撃された。

一元的汎神論や能産的自然という思想は後の哲学者に強い影響を与えた。近代ではヘーゲル が批判的ながらもスピノザに思い入れており(唯一の実体という思想を自分の絶対的な主体へ発展させた)、フランス現代思想ドゥルーズ も、その存在論的な観点の現代性を見抜き、『スピノザ』という題名の論文を出している。

代表作『エチカ』は、副題の「幾何学 的秩序によって論証された」という形容が表しているように、なによりその中身が如実に示しているように、ユークリッド の『幾何原論』を髣髴とさせる定義・公理・定理・証明の一大体系である。それはまさにQ.E.D(「これが証明されるべき事柄であった」を示すラテン語の略)の壮大な羅列であり、哲学書としてこれ以上ないほど徹底した演繹 を試みたものであった。

この著作においてスピノザは、限られた公理および定義から出発し、まず一元的汎神論、次いで精神と身体の問題を取り上げ、後半は現実主義 的ともいえる倫理学 (エチカという題名からも読みとれるが、スピノザ倫理学を重視していた)を議論している。

[編集 ] 存在論・認識論

ここでは、形而上学的な第1部と第2部の概要を主に記述する。

デカルト は精神と身体(物体=延長)という二つの実体 (他に依存せず独立して存在しうるもの、あるいはスピノザの言葉を借りれば、自らにおいて存在し、自らにおいて考えられるもの)を世界の根底に設定した。しかし、スピノザによれば、精神も身体も、唯一の実体である神 における二つの異なる属性(神の本質を構成すると我々から考えられる一側面)に他ならない。そして、神が唯一の実体である以上、神とはすなわち自然である。いいかえれば、神は超越的な創造主(人格神)ではなく、万物の内在的な原因(自然)なのである。従って、我々にとって全ては必然的に起こる。これを一元論・汎神論と呼ぶ。スピノザにおいて、自然とは自らのみにその生成の根拠を持つ能産的なものであり、超越者の被造物(所産)ではない。確かに個物は所産的な自然であるが、それは能産的自然(スピノザの実体)のうちに与えられている。この場合、諸々のもの(有限者、あるいは個物)は全て、神の変状ないし神のある属性における様態であり、実体なくしては在りかつ考えられることはできず、それらの様態の偶然的な存在は定義からは結論され得ずに経験を要する。また、神は唯一の実体であるから、これのみが必然的に存在し、その本性は無限であるため、無限に多くの属性を抱える。

スピノザは我々の知性にとって精神と延長という属性が不可欠であると位置付けた。デカルトは「我思う、ゆえに我あり 」から精神=観念(内部)と延長=実在(外部)という区別を作った。スピノザはこの区別をなくし、「人間精神を構成する観念の対象は身体である」(『エチカ』第2部定理13)と宣言する。我々の認識の志向先は常に我々の肉体であり、肉体に絡み、諸々の外在が表象される。精神の変化は身体の変化に対応しており、精神は身体から独立にあるわけではなく、身体も精神から独立となりえない。なぜなら、二つは同じものの二つの側面に他ならないからである。いわゆる同一存在における心身平行論である。これによって心身の合一という我々の現実的なありかたを説明できる、とスピノザは考えた。身体に先だって精神があるのでもなく(唯心論)精神に先だって身体がある(唯物論)のでもない。人間の身体だけを認識する人間の有限な精神は、全自然を認識する或る無限の知性の一部分であって、この全自然を想念的objectiveに自己のうちに含むところの思惟する無限の力によって形成される個々の思想と、この力によって観念された自然の中の個々の事物とは、同じ仕方で進行する。すなわち思惟という側面から見れば自然は精神であり、延長という側面から見れば自然は身体である。両者の秩序(精神を構成するところの観念とその対象の秩序)は、同じ実体の二つの側面を示すから、一致する。

[編集 ] 倫理学

スピノザデカルトとは異なり、個々の意志は自由でないとし、意志というものをこの或いはかの意志発動の原因として考えるのは、人間というものをペテロ或いはパウロの原因として考えると同様に不可能であるとし、自由な意志によって感情を制御する思想(デカルト『情念論』に代表される)を認めない。代わりに、感情は感情によって、欲求はより強い欲求によってコントロールされると考え、欲求の抑圧ではなく、よりよい状態(我々にとってもっとも有用な状態を与える「善」の方向性)をもたらすように欲求を上手く組み合わせることを重視する。これによって表象的な認識に依存した受動的かつ不十全な感情の状態から、能動的かつ明晰である感情の状態へ移るための前提である理性的な認識が可能となる。そして理性的な認識において必然性が把握され、我々固有の能力にのみ依存する明瞭判然たる諸観念が形成されることで受動感情(動揺する情念)は破棄される。その上、「われわれの精神は、それ自らおよび身体を永遠の相の下にsub aeternitatis specie認識するかぎり、必然的に神の認識を有し、みずからが神の中にありin Deo esse神を通して考えられるper Deum concipiことを知る(5定理30)」ことから、人間は神への知的愛に達し、神が自己自身を認識して満足する無限な愛に参与することで最高の満足を得ることができるとスピノザは想定する。むろん、心身合一論の帰結として、独立的な精神に宿る自由な意志が主体的に感覚的・受動的な身体を支配する、という構図は棄却される。

上の議論は、個の自己保存衝動を否定しているわけではない。その各々が部分ではなく全体と見なされるかぎり諸物は相互に調和せず、欲求の元は神の在りかつ働きをなす力に由来する個の自己保存のコナトゥス(衝動)であることを、スピノザは認めた。しかし、万人の万人に対する闘争 になりかねないこの不十全なコナトゥスのカオスを十全な方向へ導くため、全体としての自然(神)の必然性を理性によって認識することに自己の本質を認め、またこの認識を他者と分かち合うことが要請される。

[編集 ] 国家論

上述のエチカの議論によれば、理性はたしかに感情を統御できる。とはいえ「すべて高貴なものは稀であるとともに困難である(エチカ)」。感情に従属する現実の人間は、闘争においては仲間を圧倒することに努め、そこで勝利した者は自己を益したより他人を害したことを誇るに至る。他人の権利を自己の権利と同様に守らねばならないことを教える宗教は、感情に対しては無力である。たしかに精神の自由は個人の徳ではあるが、国家の徳は安全の中にのみある。必要なことは正しい政治が現実に行われることである。そのためには臣民を報償の希望ないしは刑罰への恐怖によって国家の権利の下に従属させることを必要とする。

統治権の属する会議体が全民衆からなるとき民主政治、若干の選民からなるとき貴族政治、一人の人間の手中にあるとき君主政治と呼ばれる。この統治権、あるいは共同の不幸を排除することを目的として立てられた国家の法律にみずから従うような理性に導かれる者ばかりではない現実においては、理性を欠いた人々に対しては外から自由を与えることが法の目的であって、その法に権威 を与えるものが言論の自由であるとの思想が見られる。

その具体的な実現例として、社会契約 による民主的 な国家の創設が提案された。なぜなら、共同で善へ至る道筋を探究する努力を尊重するからである。これは、いかに自由と寛容で知られる当時のオランダでなされた主張であったとはいえ、斬新な主張であり、カルヴァン派 が支配する体制の中ですぐに容認されることはなかった。

またスピノザの政治思想の特徴は、その現実主義にある。政治への理想を保持しつつ現実の直視を忘れないその姿勢は幾人ものオランダ共和国の政治家との交流から得られたものと考えられる。

[編集 ] 宗教との関係

スピノザの汎神論は、神の人格を徹底的に棄却し、理性の検証に耐えうる合理的な自然論として与えられている。スピノザ無神論者では決してなく、むしろ理神論者として神をより理性的に論じ、モーゼの十戒 に見られる「偶像崇拝の禁止」を徹底したものであった。しかし、これは多くの(キリスト教ユダヤ教問わず)神学者・信仰者の反発を買ってしまった。スピノザによれば、人格神とは、民衆の理解力に適合した人間的話法の所産であって、神を人格神としてしか捉えられない人々は、多様な神の捉え方のうちごく一部分しか見ていない。これはむしろ人間による神の規定であり、人間にとり都合がよい「哲学者の神、科学者の神」(パスカル )であるともいえる。

神 を自然 の働き・ありかた全体と同一視する汎神論 の立場から、当時のユダヤ教 の信仰のありかたや聖典 の扱いに対して批判的な態度をとった。1656年 7月27日 に破門を受けたのは、恐らくこのためである。神こそ自然であるから、自然の法則に反する奇跡 を否定する。様々な儀式に関しても、それがユダヤ教徒全員に当てはまるものではないと断ずる。

スピノザとしては、キリストの復活は、信者達に対してのみその把握力に応じて示された出現に他ならないとし、またキリストが自分自身を神の宮として語ったことは、言葉は肉となった(ヨハネ)という語句とともに、神がもっとも多くキリストの中に顕現したことを表現したものと解している。また道徳律は律法としての形式を神自身から受けているか否かにかかわらず神聖かつ有益であり、神の命令に対する不本意な隷属における報償の希望ないしは刑罰への恐怖とは対置されるところの、人間を自由にするものとしての神に対する愛を説いた。また神をその正義の行使と隣人愛によって尊敬するという意味でのキリストの精神を持つかぎり何人であっても救われると主張している。

[編集 ] 関連項目

* 我思う、ゆえに我あり
* 汎神論
* 合理主義哲学
* 神
* 社会契約

ウィキメディア・コモンズ に、バールーフ・デ・スピノザ に関連するマルチメディアがあります。
Wikiquote
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ゴットフリート・ライプニッツ
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[編集 ] 哲学における業績

モナドジー(単子論)」「予定調和説」を提唱。その思想は、単なる哲学、形而上学の範囲にとどまらず、論理学、記号学 、心理学 、数学、自然科学などの極めて広い領域に広がる。また同時に、それらを個々の学問として研究するだけでなく、「普遍学」として体系づけることを構想していた。学の傾向としては、通常、デカルトにはじまる大陸合理論 の流れのなかに位置づけられるが、ジョン・ロック の経験論 にも深く学び、ロックのデカルト 批判を受けて、精神と物質を二元的にとらえる存在論 およびそれから生じる認識論 とはまったく異なる、世界を、世界全体を表象するモナドの集まりとみる存在論から、合理論、経験論の対立を回収しようとしたといえる。

モナドジーの立場に立つライプニッツからすれば、認識は主体と客体の間に生じる作用ではなく、したがって直観でも経験でもない。自己の思想をロックの思想と比較しながら明確にする試みとして、大著「人間知性新論」を執筆したが、脱稿直後にロックが亡くなったため公刊しなかった。ライプニッツの認識論には、無意識思想の先取りもみられる。

* 同時代の哲学者との関係

ライプニッツは、同時代の著名な知識人とはほぼすべて交わったと考えてもよいくらい活動的であった。特筆されるのは、1676年 にスピノザ を訪問したことである。そこで彼は「エチカ」の草稿を提示された。だが、政治的問題もあり、また実体観念や宇宙観の違いからスピノザ哲学を評価しなかったと言われる。ライプニッツは、デカルトスピノザの他に、マルブランシュ の影響を強く受けていることも強調されなければならない。ライプニッツ哲学の最初のまとまった叙述である『形而上学叙説』をめぐっては、アントワーヌ・アルノー との文通が知られている。

* 著作

「力学要綱」「弁神論」を除くと、その著作の大半は未完で、かつ死後相当の時間を経て刊行されたため(現在も全集は完結していない)、17〜18 世紀にはライプニッツの学の全貌は完全には理解されず、楽天主義的であるとの誤解を生んだ。哲学的な思索の深さとは裏腹に、後代への直接的な影響の少ない孤峰というべきであろう。

* モナド Monade(単子)

複合体をつくる単純な実体で、ここでいう単純とは部分がないということである。モナドは自然における真のアトムであり、これが宇宙の要素である。モナドは、単純実体ではあるが、モナドの内部には多様性と変化が認められる。この内的差異によって、あるモナドは他の全てのモナドから区別される。モナドには外部に通じる窓はないが「予定調和」によって世界全体を自己の内部に映しだしており、このはたらきによって世界全体を認識している。モナドとは精神であり、その内部とは表象である。[1]

[編集 ] 数学における業績

微積分法 をアイザック・ニュートン とは独立に発見/発明し、それに対する優れた記号法を与えた。現在使われている微分積分 の記号は彼によるところが多い。

しかし、それと同等か、あるいはそれ以上に重要な業績は今日の論理学における形式言語 に当たるものを初めて考案したことである。彼によれば、それを用いることで、どんな推論も代数計算のように単純で機械的な作業に置き換えることができ、注意深く用いることで、誤った推論は原理的に起こり得ないようにすることができるというものであった。彼は、優秀な人材が何人かかかって取り組めば、それを実現するのに5年もかからないと信じていたようであったが、現実にはそれを実現するには300年以上を要した(論理学の適用できる範囲は限られているから、彼が考えたような理想には達していないと見るべきかもしれない)。彼は記号に取りつかれていた人物で、論理学以外にも、例えば幾何学 について、記号を用いて機械的に証明をする構想を得ていた。

上記の事柄に含まれるが、2進法 を研究したのも彼の業績である。彼は中国の古典『易経 』に関心をもっており、1703年 、イエズス会 宣教師 ブーヴェから六十四卦 を配列した先天図 を送られ、そこに自らが編み出していた2進法の計算術があることを見いだしている。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%84 "