夢:続き:老賢者と太母:高校生のときの同級生男女のブルーの服

夢:続き:老賢者と太母:高校生のときの同級生男女のブルーの服


テーマ:神話学・不思議学・フォークロアケルト


今日は、田舎は、晴れて暖かく、鴬の囀りが増え、雲雀の囀り、その他の鳥の鳴き声が聞える。

今朝も不思議な夢を見た。これまでになく錯綜している。箇条書きにする。

1)私は一人の外国の老爺と会っていた。しかし、この辺が判然とせず、おぼろになっている。なにか親しく話した印象がある。

2)旅館のような場所である。1階と思われる廊下ないしホールから2階や2階への階段が見える。 

3)2と同じ場所だと思うが、わたし(ユング)は、他の老人とともに、部屋に入る。その老人は、書架の2冊の本を指摘する。それらは、わたし(ユング)の書いた本より優れたものであるということを強調したようである。わたし(ユング)は、困り、自分の本を取り、トイレに行くと言って部屋を出るが、そのまま、逃げ出すことにするが、入り口の下駄箱のようなところには、自分の靴が見つからない。わたしは、1階の美容室のような部屋に入り、トイレを借りる。その美容室の店長は、女性で、先に知り合いになっていた。なにか、もう一人女性がいたようである。

4)外国の老爺が、日本に来ている。私は彼を見て、ドトール・コーヒーの店が目の前にあるのを教える。というのは、「外国」で、私は、その老爺にコーヒーを入れてもらったからである。老爺は、ドトールがピントこないようであった。「外国」での、彼と話ことなどを忘れている。(p.s. 今想起したが、なにか、コミュニケーション、コミュニオンcommunionという言葉がキーワードになっていた。即ち、老爺との会話において、私は喜ばしくその言葉を発したと思う。)

5)なにか、学生にビデオを見せたようである。なにか官能的な映画であった。途中で終わりにした。それは、老夫婦となにか若い女性のヌードが関係し、面白みのない映画であった。つまり、老夫婦の話とヌードが噛み合っていないのである。

そのビデオは、確かに、猥褻なものであった。女性の性器が見えるのである。

その後、映画館の場面で、猥褻なような映画が三本(一つはスカトロという言葉がタイトルになっていた)上映されている。二本まともな映画は上映されていない。

6)亡父が生きているときのことになっている。弟が半年ばかり、不眠症気味であると言った。私は、なにか、精神的なものが足りないようなことを言った。

某所から、料金の請求に来て、亡父が払った。

7)これは最後の方の夢であるが、先にメールで大事なことを伝えた同僚の者が、私の高校生のときの同級生を指して、彼は、ロングテールの発見で賞を取ると言った。同級生は、それは、もう一人の同級生が、自堕落な生活をしているのを見て、ロングテールを考えたというようなことを言った。彼は、ほとんど若いときのままである。

電車がホームに入ってくるが、短い車両で、電車はホームの先の方で止まったので、そちらへ走って行った。

学校の会議の場面で、同級生が議長となっている。そして、もう一人の女性の同級生が座っている。ふたりとも、鮮やかなブルーの服を着ているのが印象的であった。

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解明:これも、これまでの老賢者/太母のテーマの夢であろう。ただし、ユング心理学のこの概念も、真理には、達していないことを示唆しているだろう。

二冊の本とは何だろう。

また、思うに、ここには、超越界のエロース、天上のエロースが表象されていると思う。チベット仏教、タントラ仏教のエロースだと思う。そう、密教のエロースである。

つまり、先にも述べたが、ユング心理学は、個性化として、対立物の統合を説くが、それは、不正確であるということだろう。超越的差異即非性ないし即非的一が本来的なのであるということだろう。コミュニケーションとかコミュニオンとかも同様だろう。

今朝の夢の特徴の一つは、高校生の同級生の青い服であるし、また、ロングテールである。ロングテールは唐突の感がある。これは、特異性を示唆するのではないだろうか。

では、青い服は何か。それは、昨夜検索して読んだ臨死体験と関係しているのかもしれない。そのとき臨死体験した者は、青い空や青い地球を見たという。

それにしても、青という色は何であろうか。シュタイナーは青は、闇が光を通して来るときの色であると言った。赤が光が闇を通してくるときの色であると言った。

そうならば、青と赤は、メディア・ポイントの両極の色であろう。iから-iを見たときが青であり、-iからiを見たときが赤であろう。

でも、そうだとしても、青はもっと意味があるように思う。赤は端的に太陽の色である。青は、やはり、太陽と対になる色だろう。月の色だろうか。青白い月。やはり、-iの原闇、原陰と関係するのかもしれない。しかし、問題は、同級生の男女二人とも青い服を纏っていたことである。

これは、文脈から見ると、老賢者と太母の対が青い服を着ていたということである。

最初は、丹で赤色であった。もっとも、水銀である。

青は端的に言って、天上を意味するだろう。つまり、超越界である。つまり、超越的差異即非性を意味しているだろう。では、何故、高校生のときの同級生なのか。

それは、若さを意味しているだろう。不老不死ではないのか。若返りの草である。そう、生命の木である。扶桑であり、徐福である。(p.s. 徐福という音がなにかに似ていると感じたが、それは、女媧[じょか]と伏儀[ふくぎ]の中国の神話の女神と男神のペアの頭文字をいっしょにすると女伏、徐福となる。これは、日本語における単なる偶然の一致、語呂合わせであろう。)
http://blog.so-net.ne.jp/toyo-no-miyakenikki/2007-02-20
煉丹術である。そう、ユングで言えば、錬金術である。そう考えると、最初の丹=水銀・・・空海天河神社等を結びつく。
http://www.linkclub.or.jp/~qingxia/cpaint/china2.html

結局、これは、聖書で言うと、エデンの園の生命の木のことである。アダムとイブは、知恵の実を食べたことで楽園追放となった。これは、端的に、同一性の知を得て、差異の知を否定したことを意味しよう。そして、差異の知は、生命の木なのである。これは、超越的差異共振性=超越性である。そして、聖書によれば、これを炎の剣をもって天使ケルビムが守護しているのである。(p.s. ウリエルでもある。以下参照。熾天使(してんし)又は、ケルビムは、天使の第1位に属する。光の天使である。これは、ほぼ、超越界の太陽に近いということだろう。また、四大天使があるが、これは、思うに、メディア・ポイントの四元性を指しているのでないか。即ち、iの大天使、-iの大天使、そして、+1の大天使、そして、-1の大天使である。おそらく、悪魔となった大天使ルシファー(光をもたらすもの)は、-1の大天使ではないか。後で検討。さらについでに言えば、占星術の牡牛座、獅子座、蠍座水瓶座は、西洋の伝統文化では、この四大天使に結びつけられるが、そうすると、占星術コスモロジーとは、本来、メディア・ポイント・コスモスを探求する叡知であったように思える。東寺の両界曼荼羅における火羅図を参照。)

思うに、ケルビムは、老賢者ではないか。そして、生命の木が太母ではないのか。

そして、それは、不老不死、永遠の生命である。イエスが永遠の生命を説いたのは、この意味であろう。即ち、イエスとは、秘儀参入者なのであり、プラトニストである。(ついでに言うと、先に、父の子と母の子を言ったが、秘儀参入者・プラトニストとは、母の子である。だから、母の子としてのイエスがいるはずである。それに対して、父の子としてのイエスがいるはずである。どうも、新約聖書は、両者が混合されていると思う。私がイエスに感じる分裂性は、ここに原因があると思う。つまり、比喩的に言えば、天使と悪魔がイエスにおいて合体しているのである。おそらく、これが、キリスト教の最奥の秘密ではないだろうか。だから、今日、父の子としてのイエスと母の子としてのイエスを分別して、後者を救い出し、聖母子として復活させるべきである。しかしながら、母の子としてのイエスとは、超越的差異共振性のイエスである。それは、聖霊を説くイエスである。D.H.ロレンスが『死んだ男』で説いた復活したイエスは、そのような超越性のイエスである。だから、ユダヤキリスト教の乗り越えとは、否定ではなくて、進展ではないだろうか。+1のイエスは母の子である。父の子は-1のイエスで悪魔的である。そして、母とは超越界・叡知界・イデア界である。超越的太陽である。天照である。太母である。すると、太母的キリスト教となるだろう。そして、イスラム教であるが、それは、アッラーが、太母となるだろう。太母は唯一神であるが、多神である。八百万の神々である。すると、折口信夫が提唱したように、新神道が考えられよう。だから、新神道的万教帰一が考えられよう。もっとも、神々は、超越性と知的にみなくてはならない。)

結局、ブルーの服を着た男女の高校生のときの同級生が会議に居ると言うのは、端的に、超越界の差異即非事象を表象しているだろう。会議とは、八百万の神々の集まりである。これは、高天原である。エデンの園である。桃源郷である。弥山・須弥山は蓬莱山である。シャンバラである。丹=水銀は、煉丹術・錬金術、不老不死の霊薬であり、生命の木、世界・宇宙樹であり、扶桑である。これは、不死山=富士山(参照:アララト山)である。吉田の火祭りである。

思えば、本夢のシリーズの発端で、目の大きい老爺(老賢者)が行くとう山々は、これらの山であり、太母であり、超越界のことであったと言えよう。西洋文化的には、老爺は大天使ケルビム(ウリエルセラフィム)であろう。そして、太母は、高天原エデンの園桃源郷である。


参考1:

徐福(じょふく)は、徐市(じょふつ)とも言い司馬遷の「史記」に描かれた
伝説上の人物です。(紀元前278年〜紀元前208年といわれる)
富士山に不老不死の薬を求めにやって来たと言われる徐福ですが、一方では始皇帝の圧政から計画的に、大集団で移民をくわだてて秦を逃げ出し新しい国を作ったと言う説もあります。実際のところは不明ですが私は非常に面白い説だと思います。
このページでは東方に理想郷を求めた中国人の世界観と思想を掘り下げて調べてみました。また、実際に古代中国などからの移民が無ければ、有り得なかった古代の日本の歴史の変化についても、いくつか実例をあげて紹介したいと思います。邪馬台国の大和説・九州説のように諸説分かれるところだと思いますが、あらゆる可能性をあげて歴史に近づきたいと考えています。
徐福渡来伝説

http://homepage1.nifty.com/aburae-nyuumon/jyohuku2.htm

徐福
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Disambiguation この項目では秦の始皇帝に仕えた方士について説明しています。後漢三国時代の人については徐庶 をご覧ください。
徐福像(新宮市徐福公園内)
徐福像(新宮市徐福公園 内)

徐福(じょふく)は、中国 秦代 の方士 (学者)。斉 国の琅邪 の出身。別名、徐市(じょふつ)。

司馬遷 の『史記 』によると、秦の始皇帝 に、「東方の三神山に不老不死 の霊薬がある」と具申し、始皇帝 の命を受け、財宝と共に数千人を従えて秦から東方に船出した。到着した土地で、徐福は「平原広沢」の王となり中国には戻らなかったといわれている。

「平原広沢」は日本であるともいわれており、日本各地に徐福の一行が上陸したという徐福伝説が伝えられている。たとえば、和歌山県那智勝浦町新宮市 には古くから徐福伝説が残っているなど、各地に徐福伝説が残っているのである。

また、この徐福伝説は中国 にも伝わっており、北宋 の政治家・詩人 である欧陽脩 が日本刀 について歌った『日本刀歌 』の中にも、「その先祖徐福は秦を偽って薬を取りに行くと言い若い男女と共にその土地で老いた」と言う内容のフレーズが出てくる。

子に福永 ・福万 ・徐仙 ・福寿 がいるという。

[編集 ] 関連文献

* 史記
* 富士古文献
* 宮下文書

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8F " より作成

http://syamashita.bne.jp/johuku/hujiyosida-higasimikawa.htm


参考2:
ウリエル
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ウリエル(Uriel, אוּרִיאֵל 「我が光は神(el )」, ティベリア式ヘブライ語 Ûrîʾēl;ウーリーエール)は旧約聖書新約聖書外典 ・偽典 である『エノク書 』や『ペトロの黙示録 』などに登場する天使 で、アウリエルとも呼ばれる。

ウリエルはミカエル 、ラファエル 、ガブリエル 等とともに四大天使に数えられ、最も有力な天使であった。名の意味は「神 の光」で、これは「神の炎・火」に由来する。
ウリエルの持つ様々な役割

ウリエルも他の天使達と同様、様々な役割を担っているが、それら全てを司る訳ではなく、神学者 や後に書かれた外典、宗派 などによって、様々なウリエル像が生まれたと考えるのが妥当だろう。

[編集 ] タルタロス(地獄)の支配者

『ペトロの黙示録』ではウリエルは懺悔の天使で罪人(この場合、神に背いた者を示す)を永久の業火で焼き、不敬者を舌で吊り上げて火にかけると言われ、法に厳しい無慈悲・無情な存在で、地獄 の罪人達を散々苦しめていると言う。 また、最後の審判 の時には、地獄の門の閂を折り、地上に投げつけて陰府 (よみ)の門を開き、すべての魂を審判の席に座らせる役目も持っているという。このように地獄の支配者という面から、火山に結び付けられ、炎の属性を持ちながら、地の属性を与えられた(下記参照)といわれる。また、上記のように、極めて厳格な性格を持つため雷と恐怖を司る天使と同一視されることもある。

[編集 ] 智天使(ケルビム・Cherubim)としてのウリエル

ウリエル熾天使 (セラフィム・Seraphim)とも智天使 ともいわれるが、智天使としてのウリエルは、焔の剣をもってエデンの園 の門を守る天使とされる。ウリエルの象徴として「焔の剣・盾」が挙げられる(下記参照)のはそのためだろう。

[編集 ] 熾天使(セラフィム・Seraphim)としてのウリエル

ウリエル熾天使指揮官の1人であるともいわれる。

[編集 ] 大天使(アークエンジェル・Archangel)としてのウリエル

[編集 ] =一般的な大天使ウリエル=

大天使はキリスト教イスラム教で7人とされているが、そのうち3人は異なっている。 しかし、残りのミカエル(ミカール)、ラファエル(アズリエル)、ガブリエル(ジブリール)、ウリエル(イスラフィール)の4人は一致している。 彼等は天使の9階級 の中で8番目の軍団でありながら、最も大きな権威と権力を持つ。 これは、より高位で神に近い天使ほど、より霊的で非物質的な存在になり、低位な天使であれば、物質世界に近づくことが出来るという、ユダヤ における、宇宙の階層性に基づいたものだといえる。 つまり、より人間達に関わる機会の多い天使はより物質世界に近づくため低位な階級を持っているのである。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%AB " より作成

カテゴリ : 天使




参考3:
熾天使
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熾天使(してんし)は、天使 の位階のひとつ。 ヘブライ語 で単数形はשרף (Seraph、セラフ)、複数形はשרפים (Seraphim、セラフィム)となる。

旧約聖書イザヤ書 で言及されている。

偽ディオニシウス・アレオパギタ が定めた天使の九階級のうち最上とされている。三対六枚の翼を持ち、二つで頭を、二つで体を隠し、残り二つの翼ではばたく。神への愛と情熱で体が燃えているため、熾(燃える、などの意)天使といわれる。

ラファエル 、ウリエル 、ミカエル 、ガブリエル の四大天使がこれに該当する。 ルシファー やベルゼブブ は、堕天する前は熾天使であったとされる。


* 天使の一覧



参考4:
アララト山
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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アララト山(中央)と小アララト山(左) - NASAランドサット
アララト山(中央)と小アララト山(左) - NASA ランドサット
眼下の視界
眼下の視界
アララト山
アララト山

アララト山(アララトさん)は、トルコ共和国 の東端にある標高5,137mの山 (成層火山 )。アルメニア語 表記はԱրարատ、ペルシア語 表記はآرارات、クルド語 表記はÇiyayê Araratで、トルコ語 ではアール山(Ağrı Dağı)と呼ぶ。主峰の東南にあたる標高3,896mの頂上を小アララト山(Küçük Ağrı Dağı)と呼んでおり、それに対して標高5,137mの主峰は公式には大アララト山(Büyük Ağrı Dağı)という。アルメニア との国境から32km、イラン との国境から16kmである。

旧約聖書 にでてくるノアの箱舟 が大洪水の後、流れ着いたとされる山として有名である。頂上から古い時代の木の化石が見つかったり、航空写真から方形の船の跡らしいものが見出だせたりしたことから、それをノアの箱舟 の痕跡だとし、それでノアの箱舟伝説が実証されたと主張する人もいる。また、同じく成層火山である日本の富士山 と外見が似ていることから、しばしば日猶同祖論 の根拠のひとつになっている。

アララト山は古くからアルメニア人 の多く居住してきた地域(大アルメニア )の中心にあたり、アルメニア民族のシンボルとされる。オスマン帝国 がこの地域を支配した時代まではアララト山の麓にはクルド人トルコ人 と入り混じりながらも数百万人のアルメニア人が暮らしてきたが、オスマン帝国末期、とくに第一次世界大戦 中の強制移住によりトルコ領内からはほとんどアルメニア人はいなくなってしまった。このとき、相当の数のアルメニア人の人命が失われ、アルメニア人虐殺として国際的非難を浴びたが、トルコ政府は虐殺の事実を否認しており、長らく論争となっている(アルメニア人虐殺問題 )。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%88%E5%B1%B1