生命の樹と蛇について:メディア・ポイントの螺旋回転:連続性から差

生命の樹と蛇について:メディア・ポイントの螺旋回転:連続性から差異共振性へ


テーマ:メディア・ポイントMedia Point


聖書では、エデンの園に「命の木」と「善悪の知識の木」を生えさせたと記述している。

しかし、類似した、聖書より古い時代(古代メソポタミアないしシュメール時代、あるいは、エーゲ文明?)の図像では、一本の木である。私は一本の木が正しいと思う。二本の木としたのは、正に、二元論である。この問題はここで留めておく。

先にも述べたが、このエデンの園の生命の木=知識の知とは、メディア・ポイントを指している。そして、言わば、超越極が生命の木であり、同一性極が知識の知である。これらは、PS理論では、即非的一性である。

次に、イブを誘惑した蛇であるが、これは、正に、生命の木=知識の木と一体であると思う。蛇は螺旋を象徴するから、メディア・ポイントの螺旋回転を象徴していると思う。生命の木=知識の木を、明快にして、コスモス樹としよう。だから、メディア・ポイント=コスモス樹=螺旋回転=蛇である。

ユダヤ神秘思想のカバラにおけるセフィロトの木Sephirothic treeも同じである。(セフィロトは大天使セラフィム[ケルビム]と関係するのではないだろうか。)

プラトニック・シナジー理論的太母根源論から見ると、イブは、本来、女神であり、太母である。大女神である。創造神も太母=イブである。

イブとアダムは、イシスとオシリスに相当すると考えられる。

保留した、生命の木と知識の木の分離であるが、これは、ユダヤキリスト教一神教のもつ連続的同一性から見れば、当然の思想である。他者-iを否定して、唯一神を形成するからである。つまり、先に述べた、メディア・ポイントにおける左方傾斜、左辺傾斜性-1であり、それは、+1である他者と共振する自己を否定するのである。

言い換えると、メディア・ポイントの螺旋回転における底部における左辺傾斜の様相・様態が唯一神であり、それは、iと-iを分離して、二元論を形成するのである。つまり、メディア・ポイントは頂上部においては、超越的差異共振性であるが、下降して、現象的同一性を形成するが、そのとき、同一性の最極端として、左辺傾斜様相を発現して、それが、唯一神となると言えよう。差異を否定するので、当然、差異共振性である生命の木とは分離されると言えよう。

つまり、連続的同一性(知識の木)の形成によって、差異共振性(生命の木)とは切断されるということである。そう、聖書が的確なのは、分離切断した生命の木をエデンの園に保持している点である。それを大天使ケルビムが防衛しているというのは、メディア・ポイントの超越性が、それを保持しているということを意味しよう。

分かり易く言えば、聖書は、メディア・ポイントを二元論的に切断したということを述べているのである。天上界・神界と地上界・人間界を絶対的に分離切断したということである。これが、一神教の核心である。絶対的な切断が生じたのである。ユダヤキリスト教文化の悲劇性を意味する。ここからは、プロテスタンティズムが見える。

もっとも、単純に二元論と見てはいけない。これは、二項対立の英語であるhierarchical binary、即ち、位階的二元論なのである。神界と人間界との絶対的二元論なのでる。ここには、イエス・キリスト聖霊あるいは神の恩寵以外には、救済はないという、いわば、神的運命論が発生しているのである。

とまれ、PS理論から見れば、先に述べたように、メディア・ポイントの同一性化の最極端の様相としての一神教の様態としての二元論を考えることができよう。一神教的二元論、これが、ユダヤキリスト教的西洋文明の宿命である。これは、鈴木大拙が大慧眼にも説いたことであり、東洋文化は、即非の一元性をもっていると説いたのである。私の言葉では、即非的一性である。

以上から見ると、西洋文明・文化は捩れがあるのである。ヘブライズムとヘレニズムの捩れによる絶対矛盾的分裂性があるのである。

とまれ、本稿をまとめると、結局、知恵の木=生命の木=蛇=コスモスの樹=メディア・ポイントMedia Pointである。

そして、エデンの園はほぼ超越界である(また、メディア・ポイントの頂点とも言えそうである)。また、思うに、大天使ケルビム(火の天使)が防衛しているので、どうやら、超越的太陽に最も近いと思える。エデンの園は東の方にあるのである。(超越界と超越的太陽の関係であるが、おそらく等しいだろう。後で検討。)

さて、現代世界を見るに、ユダヤキリスト教的西洋文明の悲劇的様相が極まったと言えよう。連続的同一性、父権的一神教唯物論の世界、即ち、近代主義の世界が極まり、今や、トランス・モダンへと変転・転換し出したと言えよう。

メディア・ポイントの螺旋回転の左辺傾斜へのエネルギーが消滅して、右辺傾斜へのエネルギーへと転換しているのではないだろうか。

単純に見て、左辺傾斜エネルギーに対して、右辺傾斜エネルギーが発動するのではないだろうか。

緻密に考えよう。

初めに、差異共振シナジーが発動して、メディア・ポイントにおいて、現象界への下降が生起する。

これは、太極的エネルギーだと考えられる。

これは、易経からわかるように、生成変容する。

メディア・ポイントの下降した底部、即ち、実数軸のゼロ度(構造)において、-1と+1の構造主義的対立が発生する。

これは、ドゥルーズのような妄想的展開ではなくて、実質的な事象である。このゼロ度において、エネルギー論的に、-1の連続的同一性主義的エネルギーと+1の差異的同一性エネルギーに分岐すると考えられる。近代主義は、当然、前者である。つまり、実数軸のゼロ度において、西欧近代は、左辺傾斜=連続的同一性主義へと、いわば、負のエネルギーへと展開したものと言えよう。しかし、ここで、エネルギー保存則を適用すれば、負のエネルギーに対して、正のエネルギーが当然発現すると考えられる。

これがトランス・モダンの必然性だと考えられる。

差異を否定して、同一性を連続化したのが、近代主義である。しかし、その連続的エネルギーも消滅する。つまり、同一性の連続化によって放出されるエネルギーが消滅するということだろう。すると、思うに、メディア・ポイントにおいて、基礎的な差異共振シナジー・エネルギーが発現すると思われるのである。これは、祖エネルギー、原エネルギーと呼んでもいいだろう。

ここで、精緻に見ると、エネルギーの変容(現象化)であるが、左辺傾斜の連続化と右辺傾斜の差異化があると考えられる。連続的エネルギーと差異的エネルギーである。

現象化・同一性化において、両者が発現していると考えられるが、ユダヤキリスト教文明においては、前者が、後者を否定して、帰結したのである。

比喩的に言うと、悪魔主義と天使主義があるが、悪魔主義が勝利したのである。

問題は、前者の勝利の意味である。これは、後者を否定するので、それが、排除され、隠蔽され、潜在すると考えられるのである。おそらく、両者ともに、生成消滅するエネルギーである。しかし、前者が勝利する場合、前者はその顕在化によって消滅するはずである。それに対して、否定・排除・隠蔽された後者は、ポテンシャル・エネルギーとなり、発動すべき様相になっていると考えられるのである。

そして、差異的エネルギーの顕在化がトランス・モダンであると考えられる。

連続的エネルギーは衰滅したのである。そして、差異的エネルギーが発動したのである。しかし、当初、連続化の慣性によって、差異的エネルギーが、反動的に連続化されたのである。これが、ポスト・モダンである。「ポスト・構造主義」の倒錯・錯誤である。

しかし、今や、ポスト・モダンは無様に頓挫し終焉して、世界は、時代は、トランス・モダンへと進展しているのである。つまり、差異的エネルギーのさらなる発現が進行しているのである。

プラトニック・シナジー理論は、このような時代・世界の進展にともない、創造されたと言えよう。これは、端的に、差異的エネルギーの理論と言えよう。

現代は、近代主義が閉塞した超越的エネルギーが発現しているのである。これは、差異共振シナジー・エネルギーである。

経済的には資本主義の大変容である。

唯物論的資本主義が終焉したのである。

そう、差異共振的資本主義である。これは、近代的資本主義から見れば、ポスト・資本主義である。

PS理論から言えば、メディア・ポイント資本主義である。MePo-Capitalismである。

これは、物質と精神の調和的資本主義と言えよう。調和資本主義である。

もっとも、政治が、差異的エネルギー化する必要がある。物質と精神を調和させる政治が必要なのである。超越的差異共振政治である。

民主主義は、超越的民主主義にならなくてはならないだろう。

この政治・経済・社会について後で検討したい。


参考:

GEN02:08
主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。
GEN02:09
主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
GEN02:10
エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。
GEN02:11
第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。
GEN02:12
その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。
GEN02:13
第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。
GEN02:14
第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。
GEN02:15
主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
GEN02:16
主なる神は人に命じて言われた。 「園のすべての木から取って食べなさい。
GEN02:17
ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
http://www.is.seisen-u.ac.jp/~zkohta/bible/old_t/1/gen.html#gen02

知恵の樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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知恵の樹:ルーカス・クラナッハ
知恵の樹:ルーカス・クラナッハ

知恵の樹 (ちえのき, Tree of Knowledge) は、旧約聖書 の『創世記 』(2章9節以降)に登場する木。善悪の知識の木とも呼ばれる。

エデンの園 の中央部にあった2本の木のうちの一つ。もう一つは生命の樹 。 『創世記』によれば、日本語では主なる神と訳されるヤハウェエロヒム(エール の複数形)により食べることを禁じられており、蛇にそそのかされてその実を食べた罰により、アダムとイヴ はエデンの園を追放される。すなわち、罪は不服従の罪である。この出来事を「失楽園 」という。

この出来事が原因で蛇は永遠に地を這いずることとなったとされている。

キリスト教徒 によれば、この罪は原罪 とされるが、ユダヤ教徒 には「原罪」というものは存在しない。


タロットカード では、大アルカナのVI「恋人 」(The Lovers)にこの場面の図柄が描かれている。知恵の実を食べて知恵のついたアダムが柏の葉股間を覆っている。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E6%81%B5%E3%81%AE%E6%A8%B9 " より作成

カテゴリ : 創世記 | カバラ



セフィロトの樹

セフィロトの木は、神秘思想 のカバラにおいてさまざまな解釈がなされている。

10個のセフィラと22個の小径(パス)を体系化した図も同じく「生命の樹」と呼ばれる。

[編集 ] アインとアイン・ソフとアイン・ソフ・アウル

アインは無と訳され、0で表される。 アイン・ソフは無限と訳され、00で表される。アイン・ソフ・アウルは無限光と訳され、000で表される。アイン・ソフ・オウルと表記されることもある。アインからアイン・ソフが生じ、アイン・ソフからアイン・ソフ・アウルが生じた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E6%A8%B9


Tree of Life (Judeo-Christian)
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The tree of life as represented in Kabbalah, containing the Sephiroth.
The tree of life as represented in Kabbalah , containing the Sephiroth .

See also Tree of life for other cultural interpretations of the term, and Tree of life (disambiguation) for other meanings of the term.

The Tree of Life (Heb. עץ החיים Etz haChayim), in the Book of Genesis is a tree in the Garden of Eden whose fruit gives everlasting life, i.e. immortality . After eating from the Tree of Knowledge of Good and Evil , the biblical account states that Adam and Eve were exiled from the Garden of Eden to prevent them from eating of the Tree of Life. The passage reads that God set Cherubim to guard the entrance to the Garden, so that mankind would not eat of the tree and "Be Like Us".
“ And the Lord God said, "The man has now become like one of us, knowing good and evil. He must not be allowed to reach out his hand and take also from the tree of life and eat, and live forever." (Genesis 3:22) ”

The wisest animal, the serpent , tempts the unwise Eve into partaking of the Fruit of Knowledge of Good and Evil by suggesting that she would become as wise as God. God then fears that they will eat of the Tree of Life and thus banishes them from the Garden. The Genesis narrative of the banishment from the garden of Eden is balanced in the New Testament by the planting of the Tree of Life on mankind's side of the divide.

In the Book of Revelation , a Koine Greek phrase xylon zoës (ξύλον ζωής) is mentioned 3 times. This phrase, which literally means "wood of life" is translated in nearly every English bible version as "tree of life", see Revelation 2:7 , 22:2 , and 22:19 .

The Tree of Life is represented in several examples of sacred geometry , and is central in particular to Kabbalah (the mystic study of the Torah ) where it is represented as diagram of ten points . It is also a recurrent theme in many other religions.
http://en.wikipedia.org/wiki/Tree_of_Life