内在論(内在的超越論)の切断としてのPS理論:不連続的即非的超越性

内在論(内在的超越論)の切断としてのPS理論:不連続的即非的超越性というブレークスルー


テーマ:メディア・ポイントMedia Point


以下、実家から自宅へと移動する電車の中で書いたメモをほぼそのまま筆記する。


         |i(超知性)
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         |Media Point
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  • 1(唯物論)  |      +1(差異共振現象)

自我       |      自己
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         |-i(超身体)



自然は一般的に、右辺へと現象化する。つまり、超越的差異共振エネルギーが
現象的差異共振エネルギー化する。現象的極性化が発生する。NとS、+と-。

しかし、人間においては、左辺へ傾斜している。とりわけ、男性において、連続的同一性化、ないし、連続的志向性である。

Kaisetsu氏のメディア共鳴は、右辺の事象を解明したものと言えよう。また、宗教的観点から言うと、左辺傾斜が一神教、左辺傾斜が多神教と言えよう。

仏教はMedia Pointを指し示す宗教である。

人間の認識において、左辺傾斜が発生する。これは差異共振性の否定である。つまり、連続化である。

この連続的同一性エネルギーは否定能動的エネルギーである。そして、現象的差異共振エネルギーを排除する。

これを連続エネルギーと呼ぼう。これは否定・対立エネルギーor否定・対立(・反動)エネルギーである。

ここでは他者の否定-(-i)があるが、これは同時に、差異共振性の否定である。

そして、これは差異共振性の連続的否定態である。つまり、差異共振性は連続的否定態を帯びる。

つまり、差異共振性の否定的連続化である。だから、差異共振性エネルギーが発現しようとすると、連続的反動態となる。

これは差異共振性の病態である。本来は、不連続な、差異共振性であるからだ。

言い換えると、本来の差異共振性は、超越的差異共振性(超越界)と「離接」しているからだ。

結局、本源、本体を見失い、差異共振性は反動的に連続態を志向する。これが「ポスト・モダン」である。or ロマン主義である。

この連続的差異共振性の核となるのが、現象Media Pointである。実数軸MePoである。

この実数軸・現象MePoが「構造」であるし、ポスト・モダンの核である。ドゥルーズの差異はここに存する。

結局、Media Pointにおける左辺傾斜、連続的志向性のために、不連続な超越界が閉ざされると言えよう。閉鎖・閉塞空間となるのである。

これがドゥルーズの内在平面、内在性である。or ハイデガー存在論である。そして、端的に、近代主義現象空間である。

これが唯物科学空間である。or 全体主義空間である。

近代、末期近代とは、連続化の終極態(エンテレケイア)である。

ここにおいて、個において、不連続な純粋差異共振性が潜在化している(物自体)。

これが、不可視のコスモスを意識化させる。これは、超越的差異共振性と一如(いちにょ)である。つまり、純粋自然界である。理念的超越的叡知(?)現象空間、差異共振空間である。

しかし、これは、まだ、内在的超越空間である。

決定的な契機は、内在性と超越性を切断することである。即ち、内在空間と超越空間の不連続化である。

これは、ある意味で、自然への回帰である。

そう、現象学的還元である。身心脱落である。解脱である。⇒+1である。

この切断において、個は、超越界と真に充全に共振・共鳴するようになるのである。

超越性の降臨である。トランス・モダン・スピリットの形成である。

ここで、自我から自己への変換・変容する。これは、差異共振創造的個である。

経済で言えば、これまで、自我経済であった。しかし、自己経済となる。差異共振経済となる。

そう、差異共振エネルギーに基づく経済である。