モダンからトランス・モダンへ:アンシャン・レジームの近代からトラ

モダンからトランス・モダンへ:アンシャン・レジームの近代からトランス・モダン・コミュニティへ


テーマ:自己認識方程式(i)*(-i)⇒+1関係


「 ◆個々の心の「光」が超越性を持っていて、それが現実世界を経て、共通の認識となっていく様子をプラトニック・シナジー理論は次のように表現する。
◆(+i)*(-i)⇒+1⇒(+i)*(-i)⇒+1⇒(+i)*(-i)⇒+1⇒(+i)*(-i)・・
矢印は次元の異なることを示している。」
http://blog.kaisetsu.org/?eid=552060#sequel
「内なる光の構造」『海舌』

Kaisetsu氏が、toxandoria氏のモネの記事に関連させて、モネの絵に喚起される「光」を上のように、たいへん興味深く、数式化している。トランス・モダン・エラとは、そのような精神社会意識をもつ時代と考えられよう。
 それに対して、ポスト・モダンの意識様態を数式化するなら、
★(+i)*±(-i)⇒±1⇒(+i)*±(-i)⇒±1⇒(+i)*±(-i)⇒±1⇒(+i)*±(-i)・・
と表記できるのではないだろうか。
 ポイントは、当然、±1である。内なる他者であれ、外なる他者であれ、主体は、肯定と否定の両義性を帯びていて、いわば、中途半端な様態にあるのである。初期デリダ脱構築主義がこの両義性を用いていたし、ドゥルーズは、両義性に共通する連続的差異の考え方を提示した。思うに、構造主義のゼロ度とは、 ±1=0に関係するだろう。ならば、
★(+i)*±(-i)⇒0⇒(+i)*±(-i)⇒0⇒(+i)*±(-i)⇒0⇒(+i)*±(-i)・・
となり、±が対立構造であり、それがゼロ度ということではないのか。
 ついでに言えば、モダン様態の数式は、
★(+i)*-(-i)⇒-1⇒(+i)*-(-i)⇒-1⇒(+i)*-(-i)⇒-1⇒(+i)*-(-i)・・
となろう。これは、他者の否定であり、連続的同一性(=近代的合理性・物質主義)の数式化でもある。思うに、他者に対するマイナス、負号は、物質主義を意味すると見ることができよう。同一性としての1である。+1は、共振性をもっていて、現代物理学、量子論的になる。因みに、他者に対するマイナスは、否定・暴力であり、近代主義が暴力が主導的であることがわかる。
 以上の数式を言葉で書き換えると、+iが主体的同一性(以下、同一性)、-iが他者的差異(以下、差異)となろう。すると、トランス・モダンは、
同一性*差異⇒差異的同一性⇒同一性*差異⇒差異的同一性⇒・・・
となり、ポスト・モダンは、
同一性*±差異⇒差異・同一性⇒同一性*±差異⇒差異・同一性⇒・・・
となり、モダンは、
同一性*-差異⇒同一性⇒同一性*-差異⇒同一性⇒同一性*-差異⇒・・・
となろう。
 現代日本は、モダンのままであり、例えば、アメリカという差異に対しては、同一性を投影して、一体化(隷属)しているのである。因み、安倍首相が戦後レジームからの脱却を言うが、それは、当然、モダンの否定であり、差異を肯定することである。つまり、差異としてのアメリカを肯定することである。しかるに、集団的自衛権という発想は、モダンそのものである。差異共振シナジー化へと転換するのが正しいのである。
 ここで、飛躍的に述べるが、トランス・モダンとは、差異への転回である。それも絶対的差異へのそれである。近代主義が否定・排除してきた差異が全面的に回帰することになる。物理学で言えば、量子論的世界の進展である。そして、医学的には、東洋医学への眼差しである。
 では、経済的には、どうなのか。同一性=量=交換価値の経済から、差異=質=特異性価値の経済への変換ではないだろうか。言い換えると、差異共振シナジー価値の経済への転換である。これまでは、同一性数量価値の経済であった。
 差異と差異を共振させたときに、創造的な価値が生まれるのである。これが、新しい経済価値であろう。上図式で言うと、同一性と差異との共振ということになるが、同じことである。このためには、近代的同一性構造の壁を解体しないといけない。脱構造化である。
 これは、カントに倣えば、第二のコペルニクス的転回である。そして、この用語は適切である。カントが近代主義の先験構造を剔抉したのであり、差異共振化とは、この近代的先験構造を超える超近代様態を意味しているからである。
 このトランス・モダン・エボリューションが意味するものは、近代主義にとれば、驚天動地である。すべての近代主義的なものは解体崩壊するからである。これは逆コペルニクス的転回とも言えよう。
 思うに、近代主義教育を受けてきた者は、この「進化」を理解できず、化石化する。おそらく、新しい子供たちが理解できるはずである。何故ならば、彼らには、基本的には、近代主義の枠組みが形骸化しているからである。潜在している差異が彼らにおいて共振的に作用するはずである。プラトニック・シナジー理論は、子供たちに、未来の世代に理解されるはずである。
 しかし、日本の問題は、近代主義があまりに強固であり、アンシャン・レジームになっていることである。とまれ、少なくとも、トランス・モダン・ネットワークを構築していくことが必要である。それは、トランス・モダン・コミュニティTMCである。
 先ず、モダン・ポリティクスを破砕しないといけない。トランス・モダン・ポリティクスを構築して、日本をトランス・モダン化しないといけない。トランス・モダン・クリエーションである。

toxandoriaの日記へのTB
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070521/p1