神秘学のエーテル体やアストラル体とは何か:M・Pのエネルギー変換と

sophiologist2007-06-10

神秘学のエーテル体やアストラル体とは何か:M・Pのエネルギー変換とTwilightのイデア空間


テーマ:神秘学・霊学・不思議学


私は、ルドルフ・シュタイナーの著書をかなり読んだ。今は、彼の霊学の考え方には批判的であるが、しかし、彼の著書を、批判的に読めば、得るところが大きいだろう。信者になってはいけないのである。とまれ、仏教の影響を強く受けている『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』は薦めたい。極言すれば、薦めるのは、この書一冊だけである。


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 プラトニック・シナジー理論が新霊性論でもあることが判明してきて、なにか、シュタイナーの霊学の基礎概念であるエーテル体とアストラル体について、検討したくなったのである。
 シュタイナーは簡単に言えば、人間を構成している4つの体を説いている。

1)自我(エゴ)⇒自己にすべきである。
2)アストラル体(星気体)⇒霊的差異共振エネルギー様態
3)エーテル体(生命体)⇒遺伝子情報的差異共振エネルギー様態
4)物質体(肉体)
 
である。
 私は自我に問題があると思っている。PS理論から言うと、根源的主体性である。これは、iであり、且つ、i*(-i)である。つまり、即非的主体性である。自我というと、同一性が強く意味されるのである。少なくとも、自己と呼ぶ必要があろう。
 次に、アストラル体であるが、これは、簡単に言えば、人間の感情・心情・魂、等である。私は、これは、差異共振エネルギー様態で説明できるのではないかと思う。
 エーテル体であるが、これは、簡単に言えば、「気」、「プラーナ」である。思うに、アストラル体が、霊的差異共振エネルギーならば、エーテル体は、物質的差異共振エネルギーではないだろうか。電磁波に近いのである。しかしながら、単純に電磁波ではないだろう。思うに、人体形態形成的電磁波ではないだろうか。人体を形成する情報をもった電磁波である。わかりやすく、あえて言えば、遺伝子情報をもった電磁波である。
 次に、物質体であるが、これは、鉱物的人体とも言っていたように思う。物質的人体のことである。物質科学がこの物質体のレベルで人体を研究していると言えよう。東洋医学は、アストラル体エーテル体のレベルで人体を探求していると言えよう。
 とまれ、以上で簡単ながら、アストラル体エーテル体について説明したが、では、両者の関係はどうなのだろうか。これは、メディア・ポイント(以下、M・P)を考えればわかりやすいだろう。
 即ち、アストラル体とは、虚数超越的エネルギー(霊的エネルゲイア)であり、エーテル体とは、その実数化におけるエネルギー(実数的エネルゲイア)であろう。
 i*(-i)⇒+1で言えば、⇒がアストラル体であり、⇒の先端ないし終点がエーテル体であろう。また、考えられるのは、エーテル体とは、実数超越エネルギーではないかとということである。
 とまれ、以上で、簡単ながら、アストラル体エーテル体の関係を見たことになる。極論すれば、M・Pのもつ虚数/実数エネルギー様相と言えるのではないだろうか。
 以上の見方が肯定されるならば、霊的情報というものが、自己に存していることになるだろう。プラトンで言えば、想起される記憶である。イデアとしての霊的情報、霊的記憶である。
 i*(-i)が根源的霊的情報・霊的記憶ではないだろうか。そして、これが、エネルゲイア化⇒すると、アストラル体化して、さらに現象化においてエーテル体化する。そして、完全な現象化において、物質的人体を形成するということになろう。
 私は、これまで、虚数的超越性を超越光と、そして、実数化を現象光化と考えてきたがどうだろうか。つまり、光がメディア領域に関係するなら、イデア界と光の関係は何だろうかということである。
 もし、i*(-i)を超越光とするなら、⇒は何になるのか。⇒の先端が現象光ならば、⇒自体は何なのか。しかし、これまでの考えでは、⇒が超越光ではないだろうか。
 超越性は二種類あるので、混乱するので、ここでは、霊的光と言おう。問題はイデア空間とメディア場である。思うに、イデア空間は、i*(-i)のゆらぎ空間ではないだろうか。しかし、それが、虚数軸M・Pという特異点において、エネルゲイア化すると考えられる。
 では、霊的光はどこに存するのか。創世記の「光あれ」とは、この特異点のことではないのか。霊的光の創造である。ならば、霊的光の場は、虚数軸M・Pとなる。そして、現象光の場は、だいたい、実数軸M・Pとではないだろうか。
 では、イデア空間には何があるのか。確かに、虚数軸M・Pには、霊的光が発生する。では、それ以外のイデア空間には何かがあるのか。
 ここで、『創世記』の神の霊が水の上を吹いていたというような描写を想起するのである。神の霊はiであり、水が-iでないだろうか。つまり、霊的光発生以前の神霊と「霊水」との「離接」様態がイデア空間ではないだろうか。
 光でも闇でもない様態である。D.H.ロレンス的に言えば、Twilightの様態である。薄明様態である。どうも、これが適切なようだ。初めに、薄明Twilightありき。そして、霊光が創造され、現象光が発生した、となるのではないだろうか。
 今はここで留めたい。