ウスペンスキーの「四次元」『新しい宇宙像(上)』所収

ウスペンスキーの「四次元」『新しい宇宙像(上)』所収


テーマ:P.D.ウスペンスキー


ウスペンスキーの『新しい宇宙像』の最重要な論は、第2章「四次元」と第10章「新しい宇宙像」であろう。どちらも、高次元の問題を扱っている。「四次元」は、『ターシャム・オルガヌム』に通じる内容である。「新しい宇宙像」は、先にも述べたが、六次元の考え方を述べている。
 より明確なのは、四次元の考え方である。例えば、立体は、四次元体の投影ではないかという考え方をしているのである。六次元の考え方は、それを、発展したものとしてあるようだが、論証が不足している。単に、提起としてある。
 四次元の考え方でわかりにくいのは、ミクロの世界を四次元と捉えている点である。もっとも、これを量子の世界と見れば、PS理論に近い発想になるだろう。
 PS理論はメディア・ポイントMPをイデアと物質との交叉点と見ていて、また、ここに量子像を見ていると言えよう。(もっとも、イデアと量子は区別しないといけない。)だから、量子的ミクロの世界を、確かに、四次元とすることは考えられないことではない。
 しかし、やはり、量子的世界はMPと見るべきであり、イデア界を四次元と見るべきであろう。ウスペンスキーは、三次元に対する垂線を四次元としているが、PS理論ならば、虚軸がそれに当たると言えよう。
 単純素朴に、何故、現象世界において、四次元空間が不可能なのか。第四の直交する軸を作れないのか。
 これは、時間の問題に関係するのだろう。相対性理論では、時間が第四の軸になっている。しかし、ウスペンスキーが『ターシャム・オルガヌム』で述べたように、時間空間軸と考えた方がいい。あるいは、時間エネルギー軸と考えた方がいいだろう。つまり、時間とは、未知の四次元の空間の、三次元空間におけるエネルギー的投影のようなものとして見た方がいいだろう。
 だから、三次元空間においては、時間や運動において、四次元の影があると言えよう。内的時間は、過去、未来、現在が同時的である。これが、四次元空間と関係するだろう。そして、内的時間は超越性と関係するのである。
 思うに、メディア・ポイントMPにおける物質現象世界という結果(三次元空間)から、四次元を見ようとするので、困難にぶつかると思える。
 つまり、差異共振的イデアの現象化(三次元化)においては、差異イデアが喪失されて、時間ないし量子的ミクロ世界ないしエネルギーに変換されているのである。だから、四次元空間が物質・物理的に不可能なのでる。
 しかしながら、現象化以前の世界、あるいは、メディア・ポイントMPの虚軸の世界、即ち、イデア界が存在すると考えられるので、これを四次元空間とすることができると考えられる。
 では、問題は、イデア界⇒MP⇒物質現象世界の変換・変容において、要と言えるMPの変換様相はどういうものであるのかである。
 当然、虚数から実数への変換である。しかし、空間的にはどうなのかである。1/4回転であろう。つまり、空間の捩れが生じると思うのである。つまり、現象世界とは捩れ後の世界、三次元空間ということになるのではないだろうか。
 ここで、喩えだが、朝顔の蕾をイデア界、開花した朝顔を現象世界とすると、捩れた蕾が四次元となるだろう。虚軸である。そう、三次元空間が捩れた蕾に内包されている様相である。折り畳まれた三次元空間である。あるいは、原三次元空間である。
 換言すると、原三次元を内包したイデア界・虚軸ということである。即ち、イデア界は、原時空四次元であるということである。
 それが、MPを介して、三次元空間+一次元時間に変換すると考えられる。