精神電磁波の時代the Spiritual Electromagnetic Wave Age

精神電磁波の時代the Spiritual Electromagnetic Wave Age


テーマ:新霊性new spirituality


Spirit(精神)とは何だろうか。今日、ふと、70年代初期のことを思った。思うに、70年代前半と後半では、精神において、まったく違うのではないかと思ったりする。【どういうわけか、今日は、ダイアナ・ロスの「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」(1973年)の冒頭のスローな叙情的な歌唱が頭の中で聞こえるのである。頭が暑さでおかしくなったのか。寝不足状態で朝早く起きたことが一因かもしれない。】
 70年代前半は、ロマン主義的精神が、世界に漂っていたのではないだろうか。そして、後半になって、即物的合理主義精神へと大転換したのではないだろうか。先に、歌謡曲に関連させて、日本社会の分水嶺を見たのではあるが。
 私が言いたいのは、精神とは、「気」のようなもので、個体を超越して、空間に広がるものではないだろうかということである。しかし、これは、精神を量子ないしは電磁波と考えれば、簡単に証明できることである。もっとも、電磁波は、虚次元(イデア界)をもっているのであるが。(p.s. 相対性理論発見以前、物理学では、「エーテル」を発見しようとしていたが、「エーテル」は存在しなかった。結局、Media Pointがいわば、媒介空間と言えようか。)
 そうならば、70年代初期において、ロマン主義的精神電磁波が世界を満たしていたということになるだろう。つまり、イデア界に精神が触れていたことになる。これは、日本だけでなく、世界的に、グローバルにそうだったのではないだろうか。というのは、当時の洋楽のポップスには、精神性が感じられるからである。
 今日、堕落した音楽は、精神電磁波(the Spiritual Electromagnetic Wave)を失っているということになるだろう。単なる物質的音波になっているということだろう。
 思うに、人類史において、精神電磁波が強く作用するときが、繰り返されてきたと思えるのである。そのときは、人類の創造期であろう。文化史的に、ロマン主義の時代とは、そのような世界時代であったろう。単に、西欧だけでなく、グローバルにそうだったのではないか。ヤスパースのいう枢軸時代というのも、突出したそのような時代だったのではないだろうか。(参考:枢軸時代
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yasui_yutaka/crisis/k2.htm )だから、ロマン主義というよりは、精神電磁波の時代と言うべきではないだろうか。それは、また、聖霊の時代と言ってもいいのだろう。
 唯物論ないしは近代合理主義は霊性=精神電磁波を否定して、物質中心主義を説いたが、そのような時代が「ロマン主義」の後、形成されたといえよう。日本では、上記したように、70年代後半以降である。ここで、現代日本の迷妄が起ったのである。バブル、バブル崩壊、失われた世代、等々。
 思うに、新たな精神電磁波の時代が来るのだろうが、それは、いったい、原因は何なのだろうか。社会・世界の動きによって生起するのだろうか。それとも、宇宙的原因によって起るのだろうか。
 Media Pointが本来、森羅万象に存在しているのだから、もともと、宇宙は、精神電磁波に満たされている。【前ソクラテス期の哲学者(タレスだと思うが)は、大気は神々に満たされていると言った。神々とは、精神電磁波であろう。】感受性の鋭敏な人は、物質的合理主義が支配する世界でも、神々を感知することができて、苦しむと言えよう。
 だから、もともと宇宙に満ちている精神電磁波と世界が、特別に共鳴・共振するときがあるのだろう。そのときが、精神的創造の時代なのだろう。しかしながら、宇宙(コスモス)にもサイクルがあって、精神電磁波が強く作用するときとそうでないときがあるようにも思えるのである。イデア界のサイクルがあると思うのである。
 とまれ、精神電磁波という概念を用いると、多くの謎めいたことが解明されるように思う。中国の「気」やインドのプラーナ等が説明できるだろう。アニミズムシャーマニズム、汎神論、多神教が説明できるだろう。また、占星術や占いも説明できるだろう。オカルティズムも合理化されるだろう。当然、宗教も説明できる。一神教は、精神電磁波を同一性中心主義(唯一神)的に捉えたものだろう。換言すると、Media Pointを同一性として捉えているのである。つまり、同一性=自我的に捉えているのである。(だから、一神教の矛盾があると言えよう。なぜなら、Media Pointは、差異であり、特異性であり、固有時間であるから、本来、多元・多神教的だからである。)
 さらに、精神電磁波には、極性があるだろう。そう、既述したように、四元的である。連続性と不連続性、そして、プラスとマイナスの極性である。四元的精神電磁波である。思うに、聖書に出てくる四つの動物とは、これに関係するのではないか。あるいは、占星術の四つの基本的星座。牡牛、獅子、鷲(蠍座を指す)、人(水瓶座を指す)。そして、これが、多くの詩人や作家が捉えたコスモスを形成しているのではないだろうか。つまり、精神電磁波=コスモスである。ユング心理学や神話が捉える始原の様態のウロボロスとは、精神電磁波を連続的統一化して表象しているのではないか。本当は、差異即非様相である。
 時間の不可逆性を考えると、精神電磁波=コスモスは螺旋形状を考えていいように思えるのである。つまり、ガウス平面に直交する時間軸を考えていいのではないだろうか。そう、それは、また、太極でもあるだろう。易経に通じるだろう。
 とまれ、鈴木俊輔氏の考えを借りれば、森羅万象、量子の振動の相違によって形成されるということになる。
(参照:

http://www7a.biglobe.ne.jp/%7Etechnoqt/ikiiki.htm

つまり、精神電磁波の振動数の違いによって、森羅万象という様態が発生することになる。

 結局、Media Pointを開いて、メディア共鳴をすることで、宇宙・コスモスと共振するようになり、創造的活動に入ると言えよう。天才とは、先天的に、Media Pointが開化していて、精神電磁波から、創造するのだろう。

 思うに、現代は、21世紀は、グローバルに、Media Pointを開口して、精神電磁波=コスモスと交信する時代になるのだろう。繰り返すが、占星術では、水瓶座宝瓶宮)の時代である。PS理論では、メディア共鳴の時代である。
 ポスト・モダンとは、本来、この精神電磁波という差異から発していたのだが、近代主義・近代的自我の連続性を切断できずに、中途半端に留まったといえよう。ポスト・モダンを超えて、トランス・モダンへと地球世界は進展していくだろう。
 グローバリゼーション経済は、トランス・モダン経済へと進展しなくてはならない。それは、簡単に言えば、自由主義経済において、差異共振的様態をもたらすことである。自由主義経済が差異共振性をもつことで、マイナスの部分がプラスへと転化するのである。一言で呼べば、自由差異共振主義経済である。脱資本主義・ポスト資本主義である。これについては、後で検討したい。