プラトニック・シナジー理論(PS理論)の構成図式

表にしようと思ったが、ブログでは表が出ないので、以下のように、図式化する。


1:超越的差異=差異可能(デュナミス)的志向性(超越界)
        ↓ (プラトン、不連続的差異論)
        ↓
2:差異動態(実現、エネルゲイア)的志向性(フッサール
        ↓
        ↓
3:Media Point(垂直/水平差異共振性)(鈴木大拙
        ↓ ウスペンスキーメルロ=ポンティ
        ↓
3. 5:脱構造的志向性(ポスト・モダン:デリダ
        ↓ ドゥルーズガタリ
        ↓
4:超越論的構造性(超越論的差異→超越論的同一性)
        ↓ (ハイデガーの存在→構造主義
        ↓
5:連続的同一性(現象界、物質界)


説明すると、2において、フッサールとあるが、それは、完全な意味というよりは、志向性において、差異の志向性を示唆していたという意味である。
 4において、上層が超越論的差異であり、ハイデガーの存在である。そして、下層が構造主義の超越論的同一性構造である。
 そして、狭義のポスト・モダン哲学は、4を超える思想であった。デリダ差延脱構築は、そのような意欲であった。ドゥルーズガタリは、3と4を融合化してしまった。即ち、連続的差異=微分の思想になり、3と4を切断することができなかった。
 メルロ=ポンティ現象学は、「肉」(=身)において、ほぼMedia Pointを捉えた。可視性が5であり、不可視性が1と2である。
 不連続的差異論は、ほぼ1を発見して、3と4とを切断した。
 そして、プラトニック・シナジー理論(PS理論)は、超越的差異の即非・共振性を発見し、さらに、ガウス平面等を適用した数学化によって数理科学化し、さらには、主導的概念である3のMedia Pointを発見した。
 おそらく、以上の図式でいちばん困難な点は、3の超越論的構造である。ここは、言わば、錯綜している。二重構造になっているのである。また、これまで、多くの天才的哲学者が、乗り越えられなかった領域がここであると言える。広義のポスト・モダンであるシェリングキルケゴールニーチェを考えると、2〜4の混淆した領域で思索していたのであり、不明晰に思考していたのである。(ニーチェは実に後一歩というところで、2と4の間を揺れ動いていたと思う。永遠回帰は、正しくは、輪廻転生とすべきであるが、それを同一性の回帰、超越論的構造の回帰にしてしまったのである。)
 また、ロシアの神秘学者ウスペンスキーであるが、「ターシャム・オルガヌム」の概念によって、ほぼ即非論理を捉えていたと考えられる。それは、1〜3の領域のもつ基本論理と言える。
 さて、鈴木大拙であるが、彼は、いわば、超天才的に、1〜3の論理、即非論理を洞察発見したのである。西田哲学の絶対矛盾的自己同一は、ほぼ、即非論理と同様であったと考えられるが、あまりに彼の言語は晦渋であり、不明瞭である。
 さて、不連続的差異論による4の絶対的乗り越えがなかったら、PS理論は創造されなかったであろう。しかしながら、PS理論は、不連続的差異論からの重大な内包的発展・深化である。Kaisetsu氏による数学化がPS理論を数理化して、自然科学へと架橋を構築して、真に文理融合・統一理論の仮説となったのである。


p.s. 私はレヴィナスをほぼ未読なので、よくわからないがイメージとしては、少なくとも、1〜3の領域に入るだろう。直感では、1と2の中間態であろうか。