シュタイナーのコスモス:ハートの思考とMedia Pointの思考:Media P

シュタイナーのコスモス:ハートの思考とMedia Pointの思考:Media Pointと空間


テーマ:トランス・モダン・コスモス



照応する宇宙 (シュタイナーコレクション) (単行本)
ルドルフ シュタイナー (著), Rudolf Steiner (原著), 高橋 巌 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/%E7%85%A7%E5%BF%9C%E3%81%99%E3%82%8B%E5%AE%87%E5%AE%99-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC/dp/448079073X


久しぶりに、ルドルフ・シュタイナーの本を読んでいるが、この書は、シュタイナーの霊学の一つの核心が述べられている重要なものだと思う(第四講と第五講が未読であるが)。
 余裕があれば、引用して検討したいが、ここで述べられている霊学は、プラトニック・シナジー理論と通じるものがあると直感した。初め、オヤッと意外に思ったが、ハートの思考(ハートの論理)を重視しているのが、共感できるのである。ハートの思考とは、プラトニック・シナジー理論(以下、PS理論)の Media Pointの思考に通じると思ったのである。
 心の思考であるが、心というと多義的なので、誤解を生むが、訳者の高橋巌氏が、ハートの思考と訳してあるので、明快になったと言えよう。PS理論の Media Pointは、人間においては、超越的差異の共振するポイントであり、他者との共振を形成する領域であり、ハートの思考に通じると考えられる。
 シュタイナーは頭脳(知性)の論理とハートの論理を区別しているのだが、PS理論では、前者は同一性の論理であり、後者は即非の論理となるだろう。
 また、もう一つの興味は、シュタイナーのコスモス論である。実に興味深いのである。マクロコスモスとミクロコスモスの照応を説くのであるが、これは、一般に神秘学の基本的テーゼであるが、その内容が独特であると思った。太陽系のコスモスと人間の内面のコスモスとの照応が説かれているのである。今、丁寧に説明できないのが残念であるが、睡眠と覚醒のミクロコスモスが太陽系のマクロコスモスと連絡しているのである。ここで言われるコスモスとは、霊的宇宙のことである。物理学の宇宙、物質的宇宙のことではなく、その背後・背景にある霊的宇宙のことなのである。
 私は、今、次元の問題で悩んでいるので、シュタイナーのコスモス論はそれなりに参考になる。そこで、少しそれを出発点にして、いろいろ考えてみたい。
 結局、シュタイナーのコスモスとは、PS理論で言うと、ちょうど差異のコスモスに当たると考えられるのである。感覚・物質界とは、正に、Media Pointからの連続性・同一性によって形成されるものであり、根源・真相・本体の差異共振性が隠されるのである。
 シュタイナーが言うマクロコスモスとミクロコスモスはPS理論ではどうなるだろうか。思うに、両者、Media Pointになるのではないだろうか。自己で考えると、自己とは、Media Pointであり、ここにミクロコスモスがあると言えよう。そして、これは、大宇宙(マクロコスモス)と共振するということになるだろう(参考: Kaisetsu氏のメディア共鳴)が、大宇宙もMedia Pointとなるということである。
 興味深いのは、太陽系と黄道十二宮と人体の骨と結びつけていることである。12と31という数が共通となるのである。とまれ、PS理論は今のままでは、太陽系をうまく説明できないだろう。
 また、興味深いのは、現象界(物質界)ー元素界ー霊界ー理性界ー原像界という霊的階層性を説いていることである。【私流に造語すると、現象界ーエレメント界(四大界)ー星霊界ー超理性(超知性)界ー原霊界となる。】
 次元の問題を言うと、シュタイナーは、ウスペンスキーと同様に、四次元を考えているが、ウスペンスキーは高次元としての四次元であり、シュタイナーは霊的次元としての四次元である。これは、PS理論の虚軸の超越次元で説明がつくのである。
 どうして、物質界が三次元空間なのかは、シュタイナーには、説明されていない。シュタイナーが説く霊的コスモスが本体としてあり、それにベールがかかっているのが感覚・物質界であるというのは、PS理論と共通すると考えられるので、わかりやすいのではあるが。
 直感に頼ろう。シュタイナーもやはり、霊的次元は、対象と主体とが一体であると述べている。これは、私が先に言ったコスモス体験と同質の事柄である。
 コスモス次元、超越的次元は三次元空間を包摂していると考えられる。この包摂次元において、物質的空間の同一性は仮象となるだろう。即ち、超越的次元とは差異共振性があるのであり、それは、同一性=物質性を超克していると考えられる。例えば、私と眼前の鳥海山の間には、物質界においては距離5kmあるとすれば、超越的次元(コスモス次元)においては、距離はないのである。私と鳥海山即非的一体なのであるから。つまり、i*(-i)の様相である。(iが私で、-iが鳥海山である。)
 より精緻に考えよう。包摂次元を超越的次元と考えたが、Media Pointは包摂次元にならないのか。ここは微妙である。私が先に言ったコスモス体験であるが、それは、私と立山連峰とは一体であるという事象であったが、それは正確に言えば、Media Point的体験であると言えよう。Media Point的即非体験であり、そこで、超越的次元が現前・顕現すると言えよう。
 ならば、三次元空間を包摂している超越的次元は、やはり、虚軸と端的に見るべきであり、Media Point自体ではないことになる。Media Pointは独特な「次元」である。それは、思うに、シュタイナーの説く霊的階層と通じるのではないだろうか。先に、現象(物質)界ー元素界ー霊界ー理性界ー原像界という階層をあげたが、Media Pointは、元素界ー霊界ー理性界に当たるのではないだろうか。現象(物質)界は、端的に、連続的同一性の世界であり、原像界はイデア界・超越界、即ち、虚軸界に相当すると思われるのである。(理性界は、連続的同一性を形成するものと考えられるので、さらに説明が必要である。)
 さて、核心の次元の問題である。超越的次元がMedia Pointから連続化=同一性化するときに、三次元空間が発現するということになるのであるが、連続化は超越的差異のもつ波動に拠ると考えられる。端的に、これが電磁波ないしは光であり、光によって現象界・物質界が形成されると考えられる。Media Pointにおいて、E⇒mc^2となると考えられる。同一性は光速度で示されるだろう。だから、時空間的同一性である。
 光によって、同一性時空間が説明できる【i*(-i)⇒+1】が、距離はどうやって説明ができるだろう。例えば、地球から月への距離と地球から太陽への距離をどう説明できるのか。なぜ、距離の違いが生まれるのか。超越的次元では、地球と月とは即非関係にあると考えられるだろう。だから、距離は、実軸で言うと、ゼロである。
 私が知りたいのは、物理的距離、空間の発生のシステムである。思うに、簡単ではないだろうか。+1を例えば、光速度であり、一秒間の光の進む距離とすればいいのである。だから、時間の経過によって、二秒間の距離、三秒間の距離、等々と形成されると考えればいいのではないだろうか。時間はMedia Pointのエネルゲイアに基づくと言えよう。
 これで、距離の発生の説明は済んだが、次元の問題は未了である。ここで、虚軸の超越界を面とすると、それが、Media Pointからの同一性=光化によって、距離を発生して、立体になると言えないだろうか。つまり、虚軸ならぬ、虚面を想定するのである。虚面が同一性=光化して、距離(奥行き、遠近、前後)が発生するということである。
 そう仮定するならば、問題は、虚面である。どうして、虚軸が虚面になるのか、である。線がどうして平面になるのか、である。先に、Media PointにおけるMedia Point Plane(メディア平面Media Planeと読んだ方が適切だろう)を仮定したが、それは、今一つである。
 ここで、想起するのは、不連続的差異論が創造されて間も無いころは、私はメディア界を平面として想像して考えていたのであり、今、参考として、当時の考えを述べてみよう。不連続的差異論において、イデア界と現象界の間にメディア界があった。そこでは、不連続的差異と連続化されて現象界が発生するのであった。そして、メディア界を平面として想像して、メディア平面を考えたと思う。
 メディア平面の一面がイデア界に面しているのであり、他面が現象界に面しているのである。つまり、メディア平面から垂直的投影によって現象界が発現するのである。何故、垂直的投影なのか。当時は単純にそう考えたのである。つまり、メディア平面を言わば、目として考えて、そこから垂直に光を発すると考えたのである。同一性の光である。
 とまれ、やはり、ここでも問題は平面である。メディア平面とは何か、である。不連続的差異論における発想はこれくらいにして、PS理論に戻って考えよう。
 問題は、Media Pointの独特な即非様相を考慮すべきことである。ここでは、超越性・即非・現象性となるのである。差異・即非・同一性なのである。言い換えると、不連続性・即非・連続性なのである。
 連続性(同一性)の側面で考えると、ドゥルーズのような内在平面の発想が生まれてくるだろう。しかし、どうして平面なのか。わからない。言えることは、連続的側面の場合、虚軸が虚軸でなくなり、実軸と重なるのではないだろうか。思うに、時間軸を考えると、実軸の平行移動ということで、平面が考えられるのだろう。
 不連続的側面の場合、虚軸と実軸が明確に分離される。思うに、ここでこそ、垂直性が発生すると言うべきではないだろうか。
 そして、連続的側面と不連続的側面を結合して考えると、平面とそれに直交する垂直性が考えられないだろうか。もし考えられるならば、それは、三次元空間である。もしそうならば、三次元空間とは、超越的差異の連続性と不連続性との結合において発生するものということになる。言い換えると、Media Point的三次元空間ないしは四次元時空間と言えるだろう。そして、Media Pointが潜在しているので、総体では、四次元空間ないしは五次元時空間となるだろう。今のところはここで留めたい。
 最後に、シュタイナーが述べているこれまた興味深い、境域の守護霊のことであり、ミクロコスモスへの境界には、境域の小守護霊が、マクロコスモスへのそれには、境域の大守護霊が存すると述べていることである。シュタイナーは彼なりに、物質界とコスモス界との裂け目を認識していると言えよう。しかしながら、境域の守護霊とはなんだろうか。それは、哲学的には、構造であろう。同一性構造である。これが、あるために、通常の知覚・認識・意識は、差異の知覚・認識・意識を言わば忘却しているのである。同一性構造がいわば蓋をして、差異を閉ざしているのである。
 では、小守護霊、大守護霊とはどう説明されるのだろうか。これは、同一性構造の内界性と外界性で説明がつくのではないだろうか。後で再検討したい。


参考:


http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/