思考実験:エーテル体とアストラル体と自己(「自我」):i*(-i)⇒i

思考実験:エーテル体とアストラル体と自己(「自我」):i*(-i)⇒i・(-i)⇒+1


テーマ:メディア・ポイントMedia Point


シュタイナーの霊学におけるエーテル体とアストラル体とは、PS理論からどう説明できるか。
 まず最初に、Media Pointから連続性=同一性が発現する。その型=構造が発生する。それが基となり、連続性=同一性の物質が発現するだろう。思うに、連続性=同一性の型=構造がエーテル体ではないだろうか。遺伝子とは、この型=構造の物質的発現ではないだろうか。
 i*(-i)⇒i・(-i)⇒+1とするならば、i・(-i)が型=構造=エーテル体ではないだろうか。そして、⇒+1になるときに、エネルギーが放出されるのだろう。そして、電磁気が検出されるのではないだろうか。とりあえず、そう作業仮説しておこう。
 では、アストラル体はどう説明できるだろうか。それは、感情である。それは、*や・ではないだろうか。Media Pointにおけるアストラル体は、*であり、連続性=同一性=自我形式においては、・ではないだろうか。つまり、相互関係エネルゲイアアストラル体ではないだろうか。
 さらに自我というのは、i*(-i)とi・(-i)ではないだろうか。前者は、原自我ないしは原自己であり、後者は自我形式(連続的自我)ではないだろうか。どうも自我と自己という用語が混乱的である。シュタイナーの用語に即するのでそうなるのだ。
 混乱を避けるために、自我ではなくて、自己にしよう。だから、原自己はi*(-i)である。そして、i・(-i)は自己である。そして、i^2や(-i)^2は自我としよう。シュタイナーの言う自我とは自己である。
 では、物質とはどうなるのだろうか。物質は単純に、±1でいいのではないだろうか。i*(-i)⇒+1の右辺の+1とは、物質的身体において、自己認識するということを意味していると考えられるだろう。Media Pointにおいては、超越的自己であるi*(-i)を直感するのではないだろうか。
 いちおう、今、ここで留めたい。

p.s. i・(-i)の型=構造=エーテル体であるが、これは、端的に、Media Pointの実軸、つまり、実軸の原点・ゼロ度ではないだろうか。構造主義のゼロであり、また、ポスト構造主義の「差異」[ドゥルーズデリダ]と言えるだろう。そう、ハイデガーの本来的存在も、これだと考えられるだろう。そして、これは実は、ヘーゲルの理性に相当しよう。ポスト・モダンとは近代主義の帰結と考えられよう。因みに、フッサール現象学は、このゼロ度を超越したのである。それが、フッサールの超越論的主観性の意味だと考えられる。
 さて、以上を物理学と対応させると、アストラル体(*や・)とエーテル体[i・(-i)]であるが、それは、おおまかに言えば、量子になるだろう。ただし、現在の物理学は超越性(イデア)を認めていないから、量子はイデアか物質か曖昧である。Media Pointにおけるエネルゲイアを考えればいいと思う。つまり、Media Pointにおいては、イデアと物質の即非相である。これが、量子の実体である。ここで、とりあえず、造語して、Media Pointのエネルゲイア、即ち、イデアと物質の即非相を、メデルギーMedergyと呼びたい。だから、アストラル体エーテル体はメデルギーである。量子もメデルギーである。
 そして、メデルギーの大元には、i*(-i)=原自己があるのだから、物質の根源は原自己=霊であると言えるだろう。シュタイナーが物質の本体として霊を唱えるのは正しいだろう。後で再考したい。