「昼と夜のあいだに」:闇と光のあいだに:TwilightとMedia Point

近代的自我の現代の世界は確かに病気、いわば、自我精神病の世界である。しかし、他方、オカルト主義も、他方の病気であろう。前者が昼の病気ならば、後者は夜の病気である。合理主義の病気と非合理主義の病気である。
 そこで私は考えた。夜と昼、闇と光の間にこそ、正常な健全な意識があると。霊の世界ではなく、また、光の世界でもなく、両者の中間に、健全な世界があるのではないかと。
 Media Pointの原点に螺旋的に回帰したとき、この中間の意識がやってくるように思う。超越性と地上性との中間の意識である。ルネサンスは、両者が未分化な点があり、結局、プロテスタンティズムに席を譲った。しかし、プロテスタンティズムは超越性を失い、地上的合理主義となった。昼の世界だけである。近代的意識の世界、利己主義、自己中心主義の世界である。
 それに対して、夜、霊、神秘、ロマンの世界があるが、それは、裏返し。合理主義と神秘主義の間に、その両極の間に、本当の世界があるだろう。
 D.H.ロレンスは、Twilightの世界を求めていた。神話で言えば、ヘルメス神、日本で言えば道祖神。Medium、Mediaである。そう、やはり、Media Pointの世界である。


p.s. 言い換えると、物と心の中間の世界である。虚と実の中間とも言える。Media Point. Media Centre. Media Twilight. Media Cross.


p.p.s. 後で詳述ないしは補足したい。


参考:
「昼と夜のあいだに」ふたりの私。「沢尻エリカ」の新曲??
2007年10月07日08時09分


"Two surface characteristics"(制作:池野 徹)10月6日。
【PJ 2007年10月07日】− 人間は二面性のある動物である。精神性が崇高で優れていても、肉体性が欲高で品性に欠けるかも知れない。マジメのようでも、フマジメな部分もある。昼は女王であっても夜はしょう婦かも知れない。マジメによく働くビジネスマンでも、浮気好きな亭主かも知れない。トップに立つリーダーの男でも、家に帰れば尻に敷かれている男かも知れない。つまり、生存本能があるうちは、人間機能が発揮され、生きるエネルギーになってバランスをとっているのだ。人間的と言われれば、ごく普通の事であり、それが人生であって、喜怒哀楽の世界をつくり、面白き人間世界をつくっており、一生を過ごしているのだろうけど。
http://news.livedoor.com/article/detail/3335396/