バッハのミューズは、キリスト教の神だろうか:Media Point=母なる

バッハのミューズは、キリスト教の神だろうか:Media Point=母なる神としてのバッハの神


テーマ:クラシックCD


また、バッハの『ミサ曲ロ短調』に酔い痴れている。レオンハルトやヘンゲルブロック指揮のものを聴くが、二番目のソプラノの二重唱は至上の歓喜をもたらす。
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 私は帰りの電車の中で、頭の中に、曲が浮かんできて、ふとバッハの神とは母なる神ではなかったのかと思ったのである。先に、バッハ家が東洋的なものに接していたことを解明した(バッハ家はハンガリー出身で、ジプシーの音楽等に接していたと考えられる。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10026338985.html )。
 東洋の神とは端的に、女神的である。天照大神である。西洋ならば、聖母マリアが考えられるが、バッハはプロテスタントであった。もっとも、ミサ曲はカトリック教会の典例であるラテン語ミサを用いた。以下の資料を見ると、神のgloriaが問題である。
 とりあえず、英語のgloryを見ると、天国の溢れる光と関係することがわかる。これは、仏教では、阿弥陀如来(アミターバ)や大日如来等とつながると言えよう。すると、これは、PS理論では、Media Pointにおける超越光の感受を意味するだろう。バッハは、ここにおいて交感して、作曲したのではないだろうか。
 Media Pointの神とは、何かということになるだろう。これは、確かに啓示の神につながるのではあるが、本来、共振・共感の神であろう。超越性をもつが、同時に、共振・共感的なのである。聖書の神と同じだろうか。
 そう、私は一神教の神は、Media Pointから同一性へと転化し始めた神だと考えている。純粋なMedia Pointの神ではないのである。同一性=自我に傾斜したMedia Pointの神である。
 しかしながら、バッハの場合は、同一性=自我形成以前のMedia Pointのエネルゲイアの神が本来的だと思う。つまり、東洋的、大乗仏教的だと思うのである。シュタイナーのキリスト衝動を大乗的キリスト衝動と言ったが、それに近い。しかしながら、バッハの神は単に霊的だけでなく、地上的でもあるのである。
 とまれ、バッハの神は、Media Pointの神であり、東洋的神であると考えられるのである。
 すると、問題は展開して、キリスト教の神とは何か、となるだろう。あるいは、ルター派の神は何か、となるだろう。敷延して言えば、結局、キリスト教ユダヤ教イスラム教は二重なのであると言えよう。一神教という縛りがあると同時に、Media Pointが発動しているのである。図式化すれば、Media Point⇒同一性=自我の⇒に相当するだろう。しかし、Media Pointはあらゆる宗教の大根源と考えられるから、東洋の神と見ていいはずである。そう、母なる神である。ここから、父なる神(超越神)が生まれると私は考えるのである(メルヴィルの『白鯨』の「セント・エルモの火」(?)におけるエイハブの独白を参照)。
 言い換えると、一神教とは根源的な母なる神と派生的な父なる神の混淆であるということである。そして、バッハのミューズ/神は、根源の母なる神であったということになるのである。
 では、どうして、Media Pointが母なる神、東洋の神(女神、母神)となるのか。Media Pointは大根源の神である。それは、個においては、一体感を生む神である。ディオニュソスである。神懸かり的である。シャーマニズム的である。それは、超越且つ内在である。ここにおいて、母なる神と言えるのではないだろうか。
 問題は一体感とは何なのだろうか。それは、当然、Media Pointにおける差異共振、Media共鳴の「現象」である。一神教の神学では、聖霊や天使に相当するだろう。松尾芭蕉で言えば、道祖神である。風である。風狂である。この差異共振は、交感・共感・コミュニオンである。そして、当然、多神教的である。一(いつ)且つ多である。そう、だからこそ、 Media Pointは母なる神、東洋の神なのである。


参考1:


『バッハは熱心なルター派 信者であったが、その彼がカトリック教会 の典礼 であるラテン語ミサをこれほどの規模で作曲したことを奇異とするのは必ずしもあたらない。当時のルター派の教会では、頻繁にラテン語のミサを行っており、マルティン・ルター 自身が、ルーテル教会版の「キリエ」、「グロリア・イン・エクセルシス」、「ニカイア信条」、「サンクトゥス」の使用を認めていた。また、バッハは典礼で使用するための小ミサ曲を4曲作曲している。[1] そして、ロ短調ミサ曲の「サンクトゥス」では、小さいながらも重要な改変を典礼文に行っている。すなわち、カトリック教会の典礼文では「天と地はあなたの光栄にあまねく満ち渡る」(pleni sunt caeli et terra gloria tua) とするところを、ルーテル教会版の「天と地は彼の光栄にあまねく満ち渡る」(pleni sunt caeli et terra gloria ejus) としているのである。』
ミサ曲 ロ短調
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B5%E6%9B%B2_%E3%83%AD%E7%9F%AD%E8%AA%BF


参考2:『「ミサ曲ロ短調」は細かくいえばカトリック典礼式文 のラテン語 に2箇所のおき換え が見られる。これはバッハのライプツィヒ時代 (1723-50)の作品で、1723年5月22日にバッハは、家族を伴ってライプツィヒの聖トーマス教会内の改装なった住居に移って来た。バッハにカントル に決定するまでにライプツィヒ市参事会による難航した後任選びが行われた。というのはテーレマンTelemannドイツ(1681-1767)など多くの有名音楽家が辞退続出したからである。しかもバッハが高い評価を得ていたわけでもなかった。バッハのオルガン奏者としての評価は高いが、総合的な職務カントル (音楽監督)としての能力については疑問視されていた。バッハがなぜケーテンの高い地位から、棒給が安くて問題の多い仕事を選んだかは不思議である。だが、ライプツィヒでかなりの副収入があったともいわれている。ケーテンでは妻マグダレーナも歌手として棒給を得ていたが、ライプツィヒでは単なる主婦とならざる得なかった。大都市での生活費の高さと子だくさんのバッハ家は楽なものではない。加えて幾度も市当局や校長とのごたごたもあり、何度かライプツィヒを去ることも考えることとなる。なぜならカントルは複数の上司の支配下にあって、音楽以外にも雑務の多い地味な仕事であった。』


白鳥の歌−ミサ曲ロ短調BWV232−
バッハ芸術の総括
http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/bach_missa_hmoll.html


参考3:glory(OEDから)


5. In Biblical phraseology: the glory of God: the majesty and splendour attendant upon a manifestation of God.
1382 Wyclif Rom. i. 23 Thei chaungiden the glorie of God vncorruptible..in to the lyknesse of an ymage of corruptible man.
1526 Pilgr. Perf. (W. de W. 1531) 3 Moyses..made supplicacyon to god..that he wolde shewe hym his glory.
1611 Bible Ezek. ix. 3 The glory of the God of Israel was gone vp from the Cherub whereupon hee was.
168990 Temple Ess. Learning Wks. 1731 I. 299 Moses was..admitted both to see his Glory, and to learn his name, Jehovah.
6. Resplendent beauty or magnificence. Now often with suggestion of sense 5 or 7: An effulgence of light such as is associated with our conceptions of heaven; fig. an unearthly beauty attributed by imagination. Also pl., features of resplendent beauty or magnificence, splendours.
13.. E.E. Allit. P. A. 933 Loke on e glory of ys gracious gote.
1390 Gower Conf. III. 166 To themperour in all his gloire He said: Take [etc.].
1509 Fisher Funeral Serm. Ctess Richmond Wks. (1876) 306 The kynge..was crowned in..grete tryumphe and glorye.
1585 M. W. in Jas. I Ess. Poesie (Arb.) 10 O Phbus then reioyce with glauncing glore.
1602 T. A[cherley] Massacre Money B ij, Whilst that my glory midst the clouds was hid.
1693 Aubrey Lives, Barrow (1898) I. 91 As he lay expiring..the standers-by could heare him say softly, I have seen The glories of the world.
1726 C. DAnvers Craftsm. xvi. (1727) 134 The Roll appeared encompassed with rays of glory.
1738 Wesley Psalms v. ii, None without Holiness shall see The Glories of thy Face.
1791 Mrs. Radcliffe Rom. Forest ii, Which, quickly expanding, the sun appeared in all his glory.
18036 Wordsw. Intim. Immort. ii, There hath past away a glory from the earth.
1826 Disraeli Viv. Grey ii. iv, The scarlet glories of the pyrus japonica.
1836 Emerson Nature, Beauty Wks. (Bohn) II. 146 The heavens..reflect their glory or gloom on the plains beneath.
1878 Browning La Saisiaz 10 What will be the morning glory, when at dusk thus gleams the lake?
7. a. The splendour and bliss of heaven. (Cf. F. la gloire ternelle.)
1375 Sc. Leg. Saints, Placidas 264 Quhare euir-lestand glore sal be, & eschewine of al payne.
1533 Ld. Berners Huon lvi. 190 It semed to them that they were in the glory of paradyce.
1552 Abp. Hamilton Catech. (1884) 42 The glore quhilk is promissit to the sonnis of God.
1631 Milton Epit. Marchioness Winchester 61 Thou, bright Saint, high sittst in glory.
1648 Shorter Catech. Westm. Assemb. Answ. 37 The souls of Beleevers are at their death made perfect in holiness, & do immediately pass into glory.
1732 Law Serious C. (ed. 2) 9 And strive to enter through the Strait Gate into a life of eternal Glory.
1848 A. Jameson Sacr. & Leg. Art (1850) 34 The crown is placed on the head of the maternal Virgin in glory.
b. colloq. to go to glory: to go to heaven; to die.
1814 Sailors Return i. i, Adimar was in the act of boarding, with several others, when the Dasher went to glory. Thus was he saved.
1852 Mrs. Stowe Uncle Toms C. xli, Tell her ye found me going into glory.
1884 Craddock In Tennessee Mts. i. 9 He hev been in glory twenty year.
1897 M. Kingsley W. Africa 179 Had we got caught in this, we should have..gone to glory.