料理の哲学:料理と差異共振性:同一性結合体の解体と差異共振創造
料理の哲学:料理と差異共振性:同一性結合体の解体と差異共振創造
テーマ:トランス・モダン差異共振共同体圏
鈴木雅明指揮によるバッハ・コレギウム・ジャパンによるヘンデルの名作・オラトリオ『メサイア』の心胸を明るく元気づける、見事な演奏(鈴木氏は、バッハよりもヘンデルの方がよりあっているのではないだろうか。つまり、鈴木氏の音楽性は旋律をくっきり浮き彫りにするのであるが、それは、バッハよりヘンデルに向いていると考えられるからである。)を聴きながら、台所で、カレーを作るため、鍋の野菜のぐつぐつ煮え具合を見ながら、考えた。
ジャガイモ、ニンジン、たまねぎ、肉が煮える。野菜がくずれて、溶けて、エキスになる。例えば、個体としてのジャガイモである有機体が火によるエネルギーで揺すぶられて、根源要素への還元されるだろう。同一性有機体が解体されて、ジャガイモの差異に還元されると仮定しよう。
煮詰められて、ジャガイモの差異(差異1)、ニンジンの差異(差異2)、タマネギの差異(差異3)、肉の差異(差異4)へと還元されて、四者が差異共振するのではないだろうか。つまり、差異1*差異2*差異3*差異4という差異共振様態がそこには現象するのではないだろうか。(第三部が始まった。)
この差異共振様態が料理の味の元となるのだろう。そして、そこへカレー・ルーを入れて、さらに弱火で煮込み、味をより深化させるのである。これも、さらなる差異共振化と言えるだろう。
つまり、料理とは、食材に熱エネルギーを与えて、同一性有機体を解体させて、差異に還元して、差異共振様態を形成することであると言えるのではないだろうか。
正確に言えば、同一性有機体の解体というのは、野菜の分子に分解されるということだろう。だから、分子差異になるということである。分子差異1*分子差異2*分子差異3*分子差異4との分子差異共振様態が料理である。
だから、問題は、野菜有機体は何であるのかである。野菜の分子が結合して、野菜自体になる。分子は本来同一性ではあるが、同一性と同一性と結合して、集合化するのである。この同一性結合体が形成されるとき、エネルギーを放出しているはずである。同一性*同一性⇒同一性集合体+エネルギーである。
料理のときの熱エネルギーは、この式を反対にするものであろう。即ち、同一性集合体+エネルギー⇒同一性(野菜分子)*同一性(野菜分子)である。この同一性を、理論的には、差異と考えることができるのである。
問題は、分子を結合して、集合体にしている力である。同一性と同一性とを連結する力である。これを問題にしないといけないのである。(盛り上がりがすばらしい。これまで聴いた最高の『メサイア』である。)
同一性結合力とでも借りに呼んでおこう。これが、物質体を形成しているのである。そして、これを、料理の場合、火が食材という物質体を解体させて、同一性共振様態に還元するのである。
この同一性結合力とはどういうものだろうか。同一性の連結力とは何か、である。これは、単純に、積の力ではないのか。差異共振力が*であるなら、連結力は・ではないのか。そうとすれば、料理の場合、熱エネルギーは、この積の連結力を解体すると言えよう。つまり、熱エネルギーで揺さぶり、連結力・を差異共振力*に転換しているのではないのか。言い換えると、連結力に熱エネルギーを与えて、物質体のMedia Pointを活性化・賦活・励起することではないのか。つまり、物質のMedia Point=差異共振化である。ここにおいて、物質は、他の物質と差異共振化して、新しい物質(料理)を形成すると思われるのである。思うに、文化とはこのようなものであろう。同一性のままでは、同質のままで、差異共振の質(特異性)をもたないのである。
以上の料理哲学を経済に適用すると、同一性の物質のままでは、同質であり、高い質・差異共振性を創造できない。量的経済、土建屋的公共投資経済では、社会は進展しないのである。それは、積の経済(量の経済)であり、(国家財政の負債を拡大するだけで、)差異共振経済(質の経済)ではないのである。
また、金融資本中心主義(サブプライムローンはその狂気である)も、積の経済であり、量的増加のみであり、質的成長はないのであり、バブルとなる運命で、不況ないしいは恐慌が襲うことになるのである。景気循環を起すのである。
思うに、現代資本主義は、サブプライムローン問題に見られるように、壁にぶつかっているのである。その壁とは、既述したように、同一性・連続性・構造の壁である。モダン/ポスト・モダンの壁である。袋小路である。同一性の積だけを求めているのである。同一性主義とは、狂気なのである。結局、差異共振性へと転換する必要があるということである。
結局、同一性主義を乗り越えるため、差異共振性をもたらすには、エネルギーを与える必要があるのである。経済の場合は、熱エネルギーというわけにはいかない。ここには、企画等のアイデアのエネルギーが必要である。差異共振的アイデアがエネルギーとなり、同一性結合体に揺さぶりをかけて、解体させて差異共振化させるのである。
これまでの近代主義的量的同一性経済からトランス・モダン経済へと転換するには、同一性結合体を解体する必要があるのであり、それは、構造改革というよりは、構造解体である。そして、差異共振革新が必要である。ここでは、近代主義的発想をしている人間、とりわけ、近代的知識人・官僚・政治家は足かせである。ここでは、「素人」の方が適しているのである。
とまれ、同一性構造体となった資本に揺さぶりをかけて、解体する必要があるのではないだろうか。つまり、資本の差異化である。同一性としての資本ではなく、差異としての資本である。差異資本である。そして、多様な差異資本を共振させて、差異共振資本経済、トランス・モダン経済の構築が可能であると考えられるのである。
そう、資本の差異とは何か。資本の同一性結合体・同一性構造を解体(脱構築・脱構造)したとき現われる資本の「分子」である。おそらく、「量子」と呼んだ方が現代的である。資本の「量子」である。資本の「量子」と資本の「量子」の「核融合」があるのではないだろうか。だから、資本「核融合」である。
とまれ、資本の差異化、資本のエネルゲイア化が必要である。今日は、資本のエンテレイケイア主導なのである。資本エネルゲイアによって、同一性構造体を解体できるのである。
資本エネルゲイアとは、資本の特異性である。特異性としての資本である。ここから、差異共振化が生起するのである。今は、ここで留める。後で、もう少し具体的に展開したい。
参照:
− 特選アラカルト −
▽バッハ・コレギウム・ジャパンのヘンデル2大作品
「オラトリオ“エジプトのイスラエル人”」 ヘンデル作曲
(1時間23分37秒)
(ソプラノ)野々下由香里
(ソプラノ)松井 亜希
(アルト)上杉 清仁
(テノール)藤井 雄介
(バス)浦野 智行
(バス)渡辺 祐介
(合唱、管弦楽)バッハ・コレギウム・ジャパン
(指揮)鈴木 雅明
〜東京オペラシティ・コンサートホールで収録〜
<2007/11/23>
「オラトリオ“救世主”」 ヘンデル作曲
(2時間18分58秒)
(ソプラノ)イエレ・スー
(カウンターテナー)スティーヴン・ウォレス
(テノール)ハンス・イエルク・マンメル
(バス)ドミニク・ヴェルナー
(合唱、管弦楽)バッハ・コレギウム・ジャパン
(指揮)鈴木 雅明
〜東京・サントリーホールで収録〜
<2007/12/24>http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/ch.cgi?area=001&ch=07