差異と同一性:イデア差異極性と極傾斜:同一性勾配をもつ父権人類と

差異と同一性:イデア差異極性と極傾斜:同一性勾配をもつ父権人類と差異共振性(コスモス)回帰


テーマ:新植民地主義グローバル資本主義


先に、作業仮説として、宇宙における、+1の-1に対する優位を述べたが、これは、思うに、人間存在においても、妥当する考えではないだろうか。しかし、こう述べることは、これまでの考察とは矛盾するように見えるだろうから、説明したい。
 これまで、人間において、同一性傾斜があると述べてきたが、自然自体にもあると考えられる。しかし、基礎は差異共振性である。この基礎に対して、同一性傾斜が発生するのである。
 実際、同一性傾斜の力学を考える必要があるだろうが、それをおいておき、今は、本件の、人間における、+1の-1に対する優位性について触れたい。
 端的に言えば、根源は、+1である(記述上の便宜で、自己認識方程式の右辺だけを記す)。しかし、同一性傾斜があるために、それが疎外、抑圧される。同一性の壁が出来るのである。自我の壁である。
 しかしながら、本来の差異共振性はエネルギーをもっているので、同一性=自我の壁を乗り越えようとするのである。ここで、同一性と差異との分裂があり、それが自己における満ち足りなさを発生させると言えよう。生の意味の空虚である。【心の病の内因はここに存しよう。】
 思うに、自我=同一性は、自己完結しよう(同一性主義=「自己中心主義」)とするので、活性化している差異共振エネルギー(差異)を抑圧排除すると考えられるのである。これが、広義の精神病の発生を意味するだろうし、また、同一性価値資本主義のイデオロギーの根因であると思われる。
 人間の攻撃・好戦性は、この差異を排除する同一性完結主義に拠ると考えられる。とりわけ、男性において生じるのである。父権主義ということである。
 だから、同一性主義とは、大宇宙の「法」に背いていると言えよう。【人間は、自然・宇宙の鬼っ子である。】人間において、同一性主義への傾斜が、他の自然存在に比べて、強大なのである。この同一性主義は父権主義になって顕著になったと考えられるのであり、前父権主義においては、人間と自然とは、いわば、共生・共存していたであろう。
 とまれ、今日の人間の精神的課題は、内的な差異共振性を「解放」することである(差異解放主義)。今日、近代合理主義/近代的自我による同一性主義によって、差異共振性が抑圧排除され、同時に、それが、反動となり、非合理主義的衝動(狂気・暴力・犯罪・病気)を発生させていると考えられるのである。
 だから、大宇宙・大自然(コスモス・ジネン)へ還れということになるだろう。【Media Point Energyは、神話的には、道祖神であり、ヘルメス神であり、トート神である。キリスト教聖霊もこれだと思う。】
 思うに、差異共振エネルギーとは宇宙のエネルギーである。そして、それは、Media Pointを開くので、宇宙、大宇宙と共振・交信することになるだろう。伝統的に、コスモスと呼ばれていたものが復活することになるだろう。近代における多くの詩人や芸術家が表現してきたコスモスが復活するのである。トランス・モダンとしての、新コスモス主義、コスモス・ルネサンスである。
 このことは、当然ながら、政治・経済においても同様であり、かつ、最重要なポイントである。政治・経済の差異共振化が必須なのである。西洋文明的グローバリズムは地球自然社会人間破壊主義である。私は利子の廃止を提唱する。無利子金融ないし減価通貨金融を提唱する。
 さて、理論的な問題に戻ろう。問題は、同一性傾斜の発生の力学にあると言えよう。これは、それがただ生起すると言っただけであり、その原因については述べていないのである。
 私は自然にも同一性傾斜があると言ったので、なんらかの普遍的な原因を考える必要がある。以前は、引き付けに対する反発を原因とした考えたのであった。
 この問題は、また、根本の問題に還ることになる。不連続的差異論の時点では、シンプルに、不連続な差異の共振から同一性現象が発生すると考えたのである。非常に明快である。ただし、一番の問題は、なぜ、同一性が差異を否定(抑圧・排除)することが発生するのかということである。これは、PS理論になっても続いた問題(難問)である。
 結局、他者差異-iを否定するという同一性傾斜が原因であるが、この同一性傾斜の力学は何か、というのが本件の問いである。
 ここで思考実験であるが、差異自体に極性があり、一方の極では、単独性があり、他方の極では、共鳴性があるのではないだろうか。これは、先に述べた差異の分立性と水平性の二元論とほぼ変わらない。しかしながら、分立性と水平性とは、差異極性、イデア極性の極性を意味する。しかし、単独性と共鳴性の極性はそれとは異なるでなくてはならない。
 つまり、イデア極性=差異極性は、差異共振性を生むもので、⇒+1となる。ここには、破綻はないのである。純粋差異共振性があるのである。
 しかしながら、ここで思考実験しているのは、その純粋差異共振性を破綻させる別の極性力学のことである。
 極性が極性でなくなるのである。そう、これは、思うに、別に極性を作る必要はないかもしれない。つまり、最初の純粋極性のおける両極端を考えればいいのではないだろうか。
 これは、以前考えていたことである。+iを陽極として、-iを陰極とすれば、このイデア差異極性、イデア差異太極において、+i=陽極、ないしは、-i=陰極に総体的に傾斜するときが生じるのである。それは、極限ではなくて、一つのプロセスである。
 そして、+i=陽極に全体的に傾斜したときに、同一性傾斜が発生し、-i=陰極に全体的に傾斜したときにも、同一性傾斜が発生すると考えられる。前者は大陽であり、後者は大陰である。どちらのときも、対の極が消えているのである。いわば、裏側に潜在しているのである。そう、これが、端的に同一性傾斜と考えられよう。そして、物質化である。一般に自然・宇宙においては、この極性によって生成流転が生起すると言えよう。東洋哲学や前ソクラテス期の哲学は、これを捉えていた。
 それに対して、人間の場合は、大陽への強い傾斜があると考えられる。ヤハウェはこの大陽を意味しているように思う。もっとも、両極端の一致の法則から、これは、同時に、大陰でもある。この大陽への強い傾斜が西洋文明を支配したのであり、近代文明はその帰結である。
 問題は、どうも大陽への強い傾斜が固着的であり、差異を否定・抑圧・排除し続けることである。このために、西洋文明は「自然」(じねん)破壊的なのである。人類「自然」滅亡的なのである。大陽への傾斜とは、自我主義・同一性主義・父権主義であり、他者破壊的である。
 ジネン(自然)である差異共振性・イデア極性へと回帰すべきときが来ているが、未だに、人類の意識は、大陽主義に閉じこめられたままである。これが、恐るべき反動なのである。大陽の物質主義・自我主義・同一性主義に固着したまま、石化しているのである。
 しかしながら、自然・大宇宙(ジネン・コスモス)の永遠の生成流転を考えると、大陽主義に留まることはできないのである。大陽主義は、大反動になるのである。これは、大破壊的である。
 差異共振エネルギーは活性化されているが、それを純粋に受容することができないのである。【思うに、他力本願とはこの点では正しいのではないだろうか。差異共振エネルギーという他力を受容することが必要なのである。ただし、同一性の知性は保持しないといけない。】そのため、戦争、狂気、犯罪、他の暴力等々が蔓延するのである。
 以上の検討から、先の仮説である+1は-1に対して優位であるということは、ある意味で証明されたと言えよう。しかしながら、正確に言えば、-1は+1 に含まれるということになるだろう。ある特異点として、-1が発生するのである。それが、Media Pointであり、1/4回転である。言い換えると、イデアの極性の特異点として、物質が発生するのである。しかしながら、それは、裏面に差異共振性+1 を潜在させているのである。このように考えて、不連続的差異論の考え方をも包摂することができたと言えよう。
 さて、最後に、先に触れた、可視の光と不可視の「光」について、再考しよう。結局、現象とは何か、という問いになるだろう。端的に、光とは何か、である。
 先には、-1が可視光であり、+1が不可視の「光」であると言った。思うに、前者が粒子=物質であり、後者が波動である。そして、両者で相補性と形成する。量子論である。(これは、ハイデガー/初期デリダ哲学にほぼ相応しそうである。ただし、真の共振性はない。)
 また、先のダークエネルギーの問題であるが、+1が-1に対して、優位なので、その優位の分を計算していないので、ダークエネルギーが必要になるのではないのか、と述べた。
 思うに、物質現象は-1であり、それを支点にして、+1の波動を捉えると、全体のエネルギーが足りなくなるのではないのかと思われるのである。何故ならば、-1は、本来、差異共振性+1ないしはMedia Point Energy(メデルギーMedergyと造語したい)に包摂されるからである。言い換えると、-1は、後者の一面に過ぎないと考えられるのである。やはり、+1 or Medergy >-1である。この左辺がダークエネルギーになるのではないだろうか。【ただし、問題は、イデルギーとメデルギーと+1との関係である。それは、別稿で検討したい。】
 そう、思うに、これは、ハイデガー/初期デリダ哲学にも該当することだと思われる。超越性ないしは差異共振性の欠如である。そのために、本来の差異共振エネルギーが欠落しているように思えるのである。「ダークエネルギー」が必要に思われるのである。つまり、それは、やはり、物質主義-1から事態を考えているのであり、そのため、壁の向こう側が、それに対応するような超越性・差異共振性のない本来的存在や痕跡になると思われるのである。

参考:

量子力学とは、目に見えない小さな粒子の世界のこと。つまり、分子や原子、またはもっと小さいものの構成要素を研究する物理学の分野の一つです。量子力学に関するサイトをまとめてみました。」
http://maglog.jp/rarirarihaha/Article319014.html
量子力学入門編