対称性と非対称性:雌雄分離の力学:新母権世界又は父権包摂的新母権

対称性と非対称性:雌雄分離の力学:新母権世界又は父権包摂的新母権世界の構築へ向けて


テーマ:自己認識方程式(i)*(-i)⇒+1関係


ノーベル物理学賞をとった南部氏の「対称性の自発的破れ」理論であるが、これは、Media Pointの様相と見ることができることは先に述べた。自己認識方程式自体がそれを表現していると言えよう。(+i)*(-i)⇒+1において、左辺が正に、対称性であり、⇒が自発性であり、+1が破れである。これは端的に物質や自己の形成を意味するのである。
 私が問題にしたいのは、能動性と受動性の関係である。あるいは、雌雄性別形成の発生因である。単性生殖(処女生殖)もあるので、注意が必要である。
 雄だから、能動的であるとは、当然必ずしも言えないことは自明である。精神と身体との区別が必要であると考えられる。
 ここで作業仮説であるが、+iを能動性、-iを受動性としよう。そうならば、+1とは、能動性と受動性が調和合一したものと言えよう。ユング心理学の個体化に相当する。
 父権主義とは、一見、能動性に傾斜しているが、根本的にそうなのだろうか。逆ではないだろうか。雄・男性の根本は受動性ではないだろうか。そして、雌・女性の根本は能動性ではないだろうか。
 私は父権主義を批判し、母権主義(母系主義)を肯定評価しているが、後者にはバランスを見ているのであるが、今の考えでは、さらに母権主義とは、原理は能動性+iではないかということである。即ち、これまで、母権主義には、+1の調和バランスを見ていたが、今は、能動性+iではないだろうかということである。だから、父権主義の根本は受動性-iとなる。
 私が今思っているのは、父権主義の根因は-iであるが、-iが反動したものが父権主義として現われたのではないだろうかということである。
 本体の-iを否定するので、+iとなるだろう。そして、これが、根源の+iと積となり、-1となるのではないだろうか。
 では、母権主義は、本体が+iであるが、それが、父権主義によって否定されて、-iとなっているのである。そして、-iの自乗で、-1となるのである。
 以上は思考実験に過ぎない。
 ここで、これまでの発想から言うと、母権主義は本来、+1の調和主義である。これまで示唆したように、この調和の智慧が、太古から伝承されてきたと考えられる。それが、仏教の般若であり、グノーシス等におけるsophia(叡知)、等々ではないだろうか。
 聖書にしろ、神話にしろ、この母権的叡知を下敷きにして、いわば、父権主義的に反転させているとみることができる(参照:ジョゼフ・キャンベルの神話学)。有名なD. H. ロレンスの『黙示録論(アポカリプス)』も、ヨハネ黙示録の「考古学」であり、基層・古層の母権的叡知ないしは東洋的叡知を発掘しているのである。
 さて、本件であるが、女性の対称性の破れとは、調和的であるが、男性の対称性の破れは、-iの傾斜があり、不調和的ではないだろうか。-iという受動性へ傾斜しているので、反動的な能動性(虚栄心等)を形成するのではないだろうか。平明に言えば、強がりである。虚勢である(石原都知事を見ればいいだろう)。コンプレックスの裏返しの優越感志向と言えよう。
 思うに、女性の調和叡知に劣等感を感じた男性が反動的能動性を形成して、父権主義を生んだのではないだろうか。
 典型がヤハウェである。しかしながら、この反動的能動性があったからこそ、文明が生じたのである。これは、父権的知性の形成であり、物質科学・技術を生んだのである。
 何度も言うが、母権主義だけでは、「進歩」はなかったと言えよう。しかし、今は、このヤハウェ的父権文明=同一性主義金融資本主義が崩壊して、新たな母権的世界が生まれようとしていると言えよう。しかし、自発的な破れであるから、行為しないものは、没落・零落する運命である。
 PS理論は、この新母権的世界を指導する理論となろう。

p.s. この新母権世界であるが、最高に注意すべきは、同一性科学(物質科学・技術)を包摂した差異科学・技術的世界となるのであり、これは、父権主義を包摂した新母権主義ということである。包摂ないしは超越的包摂ということがキーポイントである。